不妊治療をやめたこと

 

  

どうしても考えるとツライので、避けていたのです

でもこれを告白することで

何か見えてくるかもしれない

 

誰かが、私もそうなんですって

共感してくださるかもしれない

 

迷っている方に何か感じていただけるかもしれない

 

こういう人もいるんだって知ってもらえるかもしれない

 

そう思って、告白しようと思いました

 

 

 

 

 

2020年、夏

 

 

最後の私の受精卵は、お腹の中でさよならしました

 

 

先生からは

もう少し続けるという案も教えていただきました

 

 

今年から受精卵の着床前検査が

ある一定の人に適応になり

(他の医院では、以前から行っているところもあります)

私はその条件の適応になっており

採卵して、受精させて

胚盤胞になったところで検査をし

良い受精卵が出てくるまでがんばるという案でした

 

 

私の年齢で、何回移植したら妊娠する確率が上がるのか

というデータも見せていただきました

 

 

心は揺れ動きましたが

不妊治療は思った以上に費用がかかります

 

 

もう何度も採卵、移植しているので

お金も底をついていました

 

 

お金持ちだったらどんなにいいだろう

 

 

若かったらどんなにいいだろう

 

 

まだまだやれるもんならやりたい

 

 

 

そんないまさらどうにもできないことを

ひたすら思うこともあります

 

 

 

ただ、先生は私が

「この移植で最後にしよう」

と思っていたことを感じていたようで

あくまで提案として教えてくださったのです

 

 

どこかで区切りをつけないと終わりがないじゃないか

 

 

と私も感じていたので

とても、とても、とても、とても

ツライ決断ではありますが

不妊治療をここで終える決意をしました

 

 

 

普段は忙しくて治療のお話ししかできないことばかりでしたが

 

 

最後はたくさんたくさん

私の話、今までの治療の話を先生とすることができました

 

 

今日陰性だったら絶対に

お礼を言って帰るんだと思っていました

 

 

「先生今まで、たくさん治療法を

 探していただいてありがとうございました

 お世話になりました」

 

 

と、伝えることができました

 

 

先生には感謝の気持ちでいっぱいです

 

 

ありがとうございました。

 

 

少しではありますが

私が行ってきたことを

ここに書いていきたいと思います

 

もしよければ

読んでいただけますか?

 

 

 

 

私が不妊治療ということをはじめたのは

39歳のときです

 

遅いですよね(^^)

ガンになってから、男性に振られっぱなしであったのと、

パニック障害もあって、なかなか男性とお付き合いすることを

避けていたところがありました。

 

 

でも、とあることから、

今の主人とお付き合いをしました。

 

 

付き合ってから3年ほど経っていましたが

彼はまだ定職に付けていませんでした

定職に付いたら結婚しようという約束だったんです。

 

 

結婚ができる環境ではない…

と、そのときは思っていました( ノД`)

 

 

でも私はもう年齢も年齢でしたし、子どもがどうしても欲しかったので

彼にその旨を伝え、不妊治療を始めることにしました

 

 

もし子どもができたら

結婚したらいいやと思っていました

 

 

近くの婦人科で

不妊治療も行っている医院を調べ

結婚はしていないけど、

子どもができたら結婚しようと思うと伝え

まずタイミング法から始めました

 

 

その時、歯科医院で仕事をしていたので

3週間ごとに最終時間まで仕事をする

というシフトだったんです

 

 

この最終時間のシフトのときには

8時半〜夜9時くらいの帰宅になるので

婦人科には行けません

排卵日がその週にあたってしまったりすると

1ヶ月見送りでしたし、医院のスタッフには内緒で通っていました

 

 

早めのシフトのときは

6時過ぎには帰宅できるので

最終の予約時間の7時に入れていただき

仕事が終わってからダッシュで婦人科へ行って、

排卵日までは、排卵促進薬を飲んで

(ほぼ、セキソビットだったかな)

卵子の大きさをチェックしながら

排卵日近くになると何度も通院して

そろそろ排卵だなってときは

HCGの注射を打っていました

 

 

この注射がほんとに激痛で…( ノД`)

うまい看護師さんだと、

わざと腕の肉をギュッと握ってくれて

痛みをギュッで分散させてくれるんです

そこに打ってもらえると少し痛みがマシで、

いつも、あの看護師さんに当たれ〜

と思っていました

 

 

排卵日だと言われた日は

彼に連絡して子作りをしていました

 

 

HCG注射をしたあと

次は2週間過ぎた頃の判定まで

受診はなかったです

 

 

 

その医院では、土曜日だけ

人工受精をやっておられて

もちろん私もすすめられたのですが

土曜日は隔週で私は仕事をしていて

排卵日がうまく休みの土曜日に

合わなかったことが多かったんです

 

 

土曜日仕事休みたいと何度も思いました

 

一度だけ人工受精を行ったことがあります

うまく休みの土曜日と

排卵のタイミングがあったんです

これにはとても期待しましたけど

 

 

もちろん結果はダメでした…

 

 

 

そのときに看護師さんとお話したのが

 

「うちでは精子を調整しないで

 そのまま子宮に入れちゃうんだけど、

 不妊治療の専門医院だと

 いい状態に調整して処置してくれるから

 専門の医院に行くことも考えた方がいいかもね」

 

ってアドバイスをもらいました

 

 

でも、仕事をしているし

まだ結婚していないから

そこまではまだできないなと思っていました

 

 

 

後から聞くと

旦那さんの精子状態が問題なければ

タイミング法でも

人工受精でも

大きく妊娠確率は変わらないみたいです

(そうは言っても人工受精の方が確率は高いです)

 

 

 

そんなタイミング法を2年半も続けました

 

 

先ほど看護師さんのお話もありましたが

ステップアップしたかったのですが

婚姻がないとステップアップはできず

結婚するまではタイミング法しかなかったのです

 

 

このときに、医院の近くの

子宝鍼灸へも通っていました

 

 

妊娠にいいことはすべてしようと思っていました

 

 

 

とても変わった先生で

 

「僕のところへきた不妊症の患者さんすぐ妊娠したよ」

 

と、おっしゃったり

なかなかお話するのは大変なうえに

鍼治療が痛くて 

 

 

妊娠するために…

 

 

とがんばって通っていましたが

1年くらいかな

途中でやめてしまいました

 

 

とくに治療の効果も感じられなかったのも

ありましたから…

痛い思いをして通うのはつらい・・・

ただでさえ、タイミングを取っては、リセットで

精神的にもけっこうストレスだったので・・・

 

 

 

たぶんみなさんも思っていたのでは

ないかと思うのですが

私も不妊治療を始めたら、

すぐに子どもができるんじゃないと思っていました

 

母が妊娠しやすい体質だったので

私だってきっとすぐだよって

どこからわいてきたかわからない自信でした

 

 

今考えれば

ほんとにアホやったなと思うのですが…

2年もタイミングしてて、授からなかったら不妊だよ

 

 

結婚するまでタイミング法を続け

結局授かることはありませんでした

 

その後、彼の仕事が決まり

結婚することが決まりました

 

 

結婚してすぐに

治療をステップアップしたいと伝え

「マイコのしたいようにしたらいい」

と言われたので、

通っていた婦人科に相談して

体外受精を行っている医院に紹介状を書いていただきました

 

 

「結婚したから、早くステップアップした方がいい」

 

 

と、先生も言ってくださいました

 

 

 

さっそく、紹介先の婦人科へ

予約の電話を入れたのですが、

予約の日が1ヶ月半後…

 

 

え?

と思いました

すぐに診てもらえないの?

 

 

そのときはまだ私は知らなかったんです

どれだけの人が不妊治療をしているということを

 

 

予約の日までの間は、

前の婦人科でタイミングを取っていました

 

 

 

待ちに待った不妊治療専門医院へ診察に行きました

 

 

いろいろな説明を受けます

 

 

まずはたくさんの検査から…

全部終わるのに1ヶ月くらいかかると言われました

 

 

すぐに体外受精できないんだ

 

 

もう時間がないのに、

検査なんて1ヶ月も受けてられないよ…

 

 

でも検査終わらなくちゃ

治療してもらえないので、がんばることに決めました

 

 

ここで、問題になってくることがありました

 

 

仕事と治療の両立です

 

 

私の医院では、お休み(有給)がもらえませんし

半休という制度やフレックスタイムというものもありません

 

 

院長に不妊治療をさせていただきたいということを相談しました

 

 

午前中治療に行くときは

お昼から夜、最後までの出勤となること

そのときに夜の当番の人と

夜出勤を交代するということでした

 

 

これは必然的に、私の夜の仕事の数が

増えるということです

夕方で帰れる日でも、

婦人科に行く日は、

夜までの勤務になります

 

 

これはかなりつらかったです

家事との両立もありましたし・・・

でもこれも妊娠のためです、がんばろうと決めました

 

 

 

そして、たくさんの検査も終わり

特に異常はありませんでしたので治療になります

人工受精もすすめられましたが

時間がないため、最初から体外受精希望でした

 

 

まずは採卵から

 

 

はじめはショート法をしました

 

 

ショート法は自己注射をしなくては

いけないので、

採卵を始める前に

自己注射教室にいきました

 

 

注射のキライな私は

自分で自分に注射をするのかぁ

と、本当にイヤでイヤで仕方ありません

針を自分のお腹に刺すんですよね〜

恐ろしいです

 

 

でもこれをやらなくちゃ採卵できない

と思うと人間腹がすわるもので

練習でも怖いながらも、自分で注射していました

自分のおなかに注射するんですけど、

もちろん針を見ておかないと危ないですよね

毎回「えーいっ!」って、必死になっていたのを覚えています

 

毎日自己注射はつらかったです

痛いのなんのって…

看護師さんのように

アンプルから薬剤を作って

注射器に入れてという本格的な作業です

そして採卵前になると、12回打つこともありましたから

 

 

病院での診察では、内診で卵子の状態を何回も診察します

育ってくる時期になると

何度も診察に行かなくてはいけませんでした

 

 

このときはたくさん卵子も育ってくれて

静脈麻酔で眠った状態で採卵してもらえました

 

卵巣に細い針を刺して卵子を取り出すため、

たくさんの量が育った場合は痛みが伴うからだそうです

 

9個採れました

 

 

本当は採卵した日は、針を刺して卵子を採っているため

痛みがありますので仕事を休んでくださいとのことでしたが

お休みをいただけないので、

痛いお腹をかかえて

痛み止めを飲んで仕事に行きました

 

 

取れた卵子の9個中、育った卵が

ひとつ、初期胚に育っただけでした…

 

 

たくさん採れたのにひとつしかないよ

 

 

先生はひとつだけでも移植してみないと

どうなるかわからないとおっしゃったので、

初めの移植をすることになりました。

 

移植の周期では、ホルモン治療を行い

ベストな状態で移植にできるようにお薬を使いました

 

最初はエストラーナテープや、またはジェルの使用

黄体期には、膣座薬を1日3回入れていました

もちろん飲み薬も併用です

 

最初は膣座薬を入れるのが怖くてうまくいかず、

トイレで「ふー、ひー」と言っていました(笑)

これもそのうち慣れてくるのですが・・・

 

移植の日、神様に祈る気持ちです

「どうか着床しますように」

 

10日後に診察

結果は陰性でした

 

初期杯ということもあり、やっぱりダメだったか

といった気持ちのほうが大きかったように思います

 

 

しかし、はじめての採卵、移植でしたが

このままではダメだと思い

再度、鍼灸治療を受けてみようと思い

この間とは違う医院を探して行ってみたのでした

 

 

そこの先生には治療をやめるまで

お世話になりました

 

 

鍼治療も痛くありませんでしたし

お灸もとても気持ちよかったのです

 

 

先生からはもちろん厳しいお話もありました

 

 

どんな子どもでも受け入れられるのか

 

年齢的に卵子も老化しているので

子どもができないということも覚悟できているか

という内容でした

 

 

鍼灸では卵子と体を

元気にすることはできるけど

卵子の質を元に戻すことはできない

というお話でした

 

 

老化した卵子は元には戻らない

ということです

 

 

それでも私はすがる思いで鍼灸を受けることにしました

 

 

鍼灸を始めてからの

採卵2回目

今度はショート法ではなく

マイルド法との間くらいをとった

調整しながらの採卵方法でした

前回はたくさん採れたけど

質が良くなかったのもあって

ちょっと変えてみようということでした

 

 

また自己注射は毎日やっていました

 

 

採卵は前回と同じで

静脈麻酔で行いました

 

 

全部で4つ採れ、受精したのが3

今度は2つ胚盤胞まで育ってくれました

 

 

これは鍼灸の効果なのでしょうか

実際のところはわからないのですが

前回よりだんぜん良かったのです

 

 

2つのうちのグレードの良い方を移植しました

 

 

判定日

 

 

なんと陽性をいただきました

 

 

信じられませんでした

2回目で妊娠するなんて

 

 

でもほんとうにほんとうに嬉しかった

やっと夢が叶った

ママになれる

 

 

もう毎日が幸せでした

お腹に手をあてて

かわいいかわいいと

幸せを噛みしめていました

 

 

ただすぐに仕事を辞められなかったので

普通に働いていました

立ち仕事なもので、

休憩したりできるのかなと思っていましたが

誰もそんなことは言ってくれず

バタバタとしていました

 

 

そんな中でも

胎嚢が見えました

 

 

その後です

医院の夏の大掃除の日がやってきました

毎年2回大掃除があるのですが

夏はエアコンを止めて掃除をするため

けっこう大変なのです

 

 

なぜか他のスタッフは暑い暑いと言って

掃除をせずに、ぺちゃくちゃおしゃべり

 

 

私はそんなスタッフを見て

キーっと苛立ってしまい、人一倍掃除をしてしまいました

 

 

掃除が終わったときに

お腹が張り出し、違和感を感じました

 

 

不正出血です…

 

 

すぐに婦人科に電話をし

安静にして様子を見るように言われましたが

まったく安静にさせてもらえず普通に仕事でした

そんな中で、自分なりに安静を心がけていました

 

不正出血は止まらず、

ちょうどお盆休みに入ってしまいました

それでもずっと不正出血はあり、不安な日々を過ごしました

 

 

次の診察で、まだ出血はありましたが

心拍の確認ができました

 

 

お腹の中で生きているよ

 

 

心から嬉しかったです

 

 

次に順調にいっていたら、

転院先の病院を決めましょうね

と先生にも言われました

 

 

1週間後

診察に行きました

今日の診察が終わったら

両親に報告しようと思っていました

 

 

超音波検査をすると

心拍が確認できませんでした

 

 

流産していました・・・

 

 

赤ちゃん守ってあげられなかった

 

 

仕事してたから?

 

 

先生に聞くと、

この時期の流産は受精卵がダメなことが

ほとんどで、私には非はないそうです

 

 

そして、体外受精した人の

5人に1人は流産するというお話でした

 

 

それでも

なぜ私の子はお空へ帰ってしまったんだろう

という悲しみはなくなりませんでした

 

 

そこからは

流産手術の手続きのために

予約を取ったりしましたが

ただ言われるがままに動いていました

 

 

両親に流産の報告はつらかったです

 

 

家に帰って落ち込んでいたら

主人に叱られました

 

 

「そんな風になるから不妊治療なんてイヤやってん」

 

 

そのとき主人はまだ

子どもは欲しくなかったんだなと思います

 

 

それから手術までは、わざと明るく過ごしました

 

 

そして何も考えないようにしていました

何かを思うと涙が止まらなくなるからです

まだお腹にいるんですものね

心臓は止まってるけど、

まだお腹にいる

 

 

 

流産手術の日

お別れです

 

 

あまり何も考える時間もなく

着替えて、静脈麻酔をして眠りました

 

 

麻酔が切れて目が覚めました

 

 

何も代わり映えしていないですが

お腹にもう私の赤ちゃんはいません

 

 

泣かないと決めていたのですが

看護師さんが様子を見に来てくださって

看護師さんに思わず

 

 

「私の赤ちゃんいなくなっちゃった…」

 

 

と号泣していました

 

 

こんなに悲しいことがあるのかと思いました

 

 

産んであげられなくてごめんね

 

 

守ってあげられなくてごめんね

 

 

とっても会いたかったよ

 

 

 

 

私の赤ちゃんはお空へ帰っていきました

 

流産手術をしたあとは

すぐには移植はできないので、

移植できない間

時間がもったいないので

採卵をしましょうということでした

 

 

先生に、初期流産は私のせいではないよ

と言われていましたが、

私は「前に進まなきゃ、前に進まなきゃ」

と思いながらも

あの大掃除のときに無理をしたことを

とても悔やまれて仕方がありませんでした

 

 

あのときにイライラせずに

体をいたわり、のんびりしていれば

お腹は張らなかったかもしれない

出血しなかったかもしれない

そんなことを考えると、

ひとりでいるときは涙が止まりませんでした

 

 

そんな中でしたが、採卵も始めました

今度はマイルド法でした

最初はお薬で卵子の様子をみて

卵子の育ち具合で

途中から自己注射も交えて行いました

 

 

ここまで注射すると

慣れてくるものかと思いましたが

そんなことはなかったです

いつまでも怖かったし、痛かったです

 

 

マイルド法なので、

卵子の採れる数も3つくらいだったと思います

 

 

採卵は数が少ないので局所麻酔で行いました

 

 

局所麻酔は意識があるので

器具の挿入などの気持ち悪さや

麻酔の痛さなどがありました

 

 

お腹の中の検査や注射や処置って

なんであんなに痛いんだろう?

 

 

流産手術の前処置のときも

飛び上がるほど痛くて、

我慢して我慢して涙目でいると

看護師さんが心配してくれたなぁ…

 

 

採卵数も少ないので、

より確実に受精するように

今回からは顕微鏡受精にしましょうと言われました

 

 

顕微鏡受精は卵子に針を刺すので

卵子を少し痛めてしまうけど、

受精しないリスクを考えると

ちゃんと受精した方がよいというお話でした

 

 

胚盤胞まで育ってくれたのは2つ

 

 

採卵数にしてはとても成績はよいようです

 

 

凍結して移植を待ちます

 

 

 

 

次週期移植

 

 

前回と同じく、ホルモン補充をして

迎え入れの準備です

このころから子宮内膜が厚くなるのが

遅くなりがちになり、

本来の移植予定日より

数日遅れるようになりました

特に問題はないとのことでしたが

内膜が厚くなりにくいということは

もう年齢も厳しくなってきたのかなと

悲しくなっていました

 

 

後からわかったことですが、

子宮の中を剥離するような手術をすると

内膜が厚くなりにくくなるそうです

 

 

移植をしました

 

 

今度は期待できるかなと思いながら

判定日に医院に行くと

 

 

陰性でした…

 

 

とてもショックでした…

 

 

 

先生から、

良好胚を移植しても妊娠しない方や

流産した方には追加の検査をして

原因を追及しようと思うんだけど

検査してもいいか聞かれたので

もちろんお願いしました

 

 

この日に行ってくれました

 

 

高プロラクチンの検査で

血液検査のときに

別室に連れて行ってくださって

看護師さんが言ってくれました

 

 

「◯◯さんのように、

 流産して、次も妊娠できない方

 たくさん見てきたよ

 ほんとにツライよね

 どういう気持ちで検査受けてはるのかな

 って考えるんだけど私はわからなくて…

 この追加の検査をして

 何か異常がわかったら

 対処の方法がわかるからね

 気持ち切り替えてがんばろうね」

 

 

って言ってくださって

おいおい泣きました…

(今でも涙が出ます)

 

 

こんな風に寄り添ってくださる

看護師さんがいるんだなって

この看護師さんに採血してもらってよかった

って心から感謝しました

 

 

 

この検査からわかったことは

 

 

潜在性高プロラクチン血症

 

ビタミンD不足

 

凝固第12因子

 

 

 

潜在性高プロラクチン血症は

普段の生活ではプロラクチン値は

高くないのですが

睡眠時などに高くなっているという病気

プロラクチンが高いと

妊娠しにくいそうです

最近では若い方にも多い病気だそうです

 

 

ビタミンDはその名の通りビタミン不足

ビタミンDは妊娠には必要なビタミンで

私は基準値よりめちゃくちゃ低かったです

 

 

凝固第12因子は

血が固まりやすいという病気

私はそんなに悪くはないそうですが

移植後と、妊娠したらその後

血液サラサラの薬を飲むということでした

 

 

 

これからこの原因の

治療を始めることになりました

 

原因がみつかり、治療をすることになり

数ヶ月移植はできないので

時間が過ぎていくのはもったいない

ということで、

また採卵していくことになりました

 

 

今回からは

すべて前回と同じ方法のマイルド法で

また途中から自己注射も交えての採卵です

 

 

 

 

ここで職場での現状も交えて

お話しようと思います

 

 

採卵中ももちろん注射をしながら

仕事を続けていました

採卵の日も、以前の通り、

採卵が終われば、速攻で職場へ

お薬で痛いのを止めて行っていました

 

 

移植の日も、本当は着床しやすいように

当日は安静に…なのですが

速攻で職場に戻っていました

 

 

 

採卵と治療の日々を続けているときに

他のスタッフからこんなことを

言われたことがありました

 

 

「次移植してあかんかったら

 もうあかん(妊娠できない)のちゃう」と

 

 

あぁ、こういうことを言われちゃうんだな

本当に心から悔しかったし

苦しかったです

 

 

同じ女性としてわかってもらえるのかな

と思っていたのは間違いで

 

 

「いい歳して諦められないの?」

 

 

ということなのかなぁって…

 

 

以前から治療をしていることで

スタッフの方には

申し訳ないなという気持ちでいっぱいでした

なので、一度も休まずに、

夜の仕事に変更していましたし、

「ごめんね、ごめんね」って

いつも言っていたように思います

 

 

でも治療にはお金がかかる

ちょっとでも働けるなら働かなくては

居場所がなくても働かなくては!

そんな風にして働いていました

 

 

 

数ヶ月後、

ビタミンDの数値は、

ギリギリまでですが上がり、

凝固因子の方もなんとかなりそう

プロラクチンもお薬を飲んで

コントロールできているので

再度移植をはじめることになりました

 

 

また移植のためにホルモン治療を

はじめました

相変わらず内膜の厚くなるのは遅くて

予定より少し遅れての移植でした

 

 

今度こそは!

 

 

判定日

願いは叶いませんでした…

また陰性でした

 

 

 

その日、このことを職場の院長に伝えて

ガッカリしながら最後まで仕事を終えると

呼び出されました

 

 

「いつまで不妊治療続ける気?

 ◯◯さんが病院に行ってるときは

 スタッフが減っていて

 僕たちがバタバタするんだよね

 それなのに、いつも明るくしてて

 申し訳ないっていう気持ちあるの?」

 

 

と、言われました

 

 

涙が出てきました…

 

 

いつまで不妊治療続けるってどういうこと

迷惑ってこと?

でも、午前中病院の日は、

本来のシフトではなく、

夜まで、最後まで働いてるよね

そういう約束でしたよね

 

 

不妊治療しているからって

治療でお休みしたことも一回もないです

 

 

 

私が不妊治療をしたいと相談したときに

僕にも娘がいるから気持ちわかるよ

みんなの環境が良くなるように

スタッフ増やそうと思ってるから

がんばってって

先生言ってくれましたよね

 

 

移植や採卵、ツラくて痛い治療

暗い顔で仕事しちゃいけないって思って

明るく元気に対応してたのに

それはいけないことなの?

 

 

申し訳ないって思ってます

思ってるからこそ、

わかっているスケジュールはすべて

先に先に伝えていたし、

安静にしなくちゃいけないときも

すぐに職場に来てたのに…

 

 

どうしてそんなこと言うの…

 

 

涙が止まらず、

ただ「すみません、すみません」

としか言えませんでした

 

 

自分が悪いことをしているかのように

思えてもきました

 

 

 

「不妊治療はやってる者にしかわからない」

 

 

本当にその通りでした

 

私は泣きながら家に帰り

ベッドの上で号泣していました

 

 

そこへ主人が帰ってきて

私の異変に気がつき、理由を話しました

 

 

主人はものすごく怒って

「院長に電話しろ、話つける」

と言いました

 

 

最初は私もそれは嫌だったのですが

あまりにも主人が

「いいから、早く」

というものだから、

話してもらうことにしました

 

 

元ヤンチャだった主人なので

めちゃめちゃなこと言わないか心配でした

 

 

あまり聞かないようにしていたので

詳しくは覚えていませんが

このような内容だったと思います

 

 

「先生が治療を認めてくれているから

 俺もずっと仕事に行かせていた

 なぜ今日結果がダメやった日に

 そういう話をするんや

 俺もマイコも自分たちの子どもが

 ほしいんです

 先生のこと信用して仕事に行かせてたのに

 これやったら、明日から仕事へ

 行かせられません

 辞めさせます」

 

 

と、キチンと話をしてくれました

 

 

そこから、向こうから反撃があったのか

だいぶ職場の悪環境の話になっていました

 

 

たとえば、

有給があるのに

使わせてもらえてないのはどうか

 

午前中診察に行って、最後まで働いてるのに

給料が引かれてるのはどういうことか

 

こういうことをしていることを

しかるべきところへ報告して

調べてもらいたかったんです

 

 

ということを主人は訴えていました

 

 

その後どういう話になったかは

わからないのですが、

 

 

私はその日づけで辞めることとなりました

 

 

そのあと、書類関係で

職場に行かないといけないことが何度かあり

意地悪をされたりして

イヤな思いをしましたが

 

 

私が大きな態度を取ったり

あからさまに失礼をしたら負けだと

思っていたので

 

 

ずっと、笑顔で

「ありがとうございました」

を続けました

 

 

他のスタッフにも理由を聞かれましたが

決して答えませんでした

 

 

きっとあちら側の話だけを聞いて

私は悪者になっているだろなぁと

思っていますが…

 

 

それでもかまいません

 

 

事実は自分たちだけが知っています

 

 

主人が辞めるきっかけを作ってくれたことに

感謝しています

このことがなければ辞めれなかったですものね

 

 

 

 

私は仕事を辞めて、

不妊治療に集中することにしました

 

 

その後に、婦人科で子宮鏡検査をして

結果を聞くと、

子宮内の癒着がだいぶあるとのことで

診てもらったほうがいいとのこと

 

 

神戸にいい先生がいるので

そちらで治療してもらって

また帰ってきてほしいとのことでした

 

 

また異常が見つかっちゃった…

という思いと

神戸に通うとなると時間も日にちも

大変だなと思っていたので

 

仕事辞めててよかったなと思いました

 

 

このことがあったから

仕事辞めることになったのかなと

思うくらいでした

 

 

すぐに神戸の医院に電話をして

予約をしました

 

 

わりと早めに診ていただけることになり

さっそく主人と行ってみました

 

 

こちらの医院でも、

まず子宮鏡検査をしました

 

 

その結果を私たちに話してくださいました

 

 

子宮内の癒着がだいぶあるので

本来なら見えている卵管などが

見えない状態になっている

 

 

これが不妊につながっているかは

わからないのだけど、

癒着を取る手術をしましょう

とのことでした

 

 

本来なら、手術は3ヶ月待ちの

大変お忙しい先生でしたが

私の年齢と不妊治療ということを

考慮してくださり

時間外に手術してくださることになり

次の週には手術に決まりました

 

 

ここでも本当にありがたいなと思いました

うまくスイスイいくということは

こういうことを言うんだなと思いました

 

 

この日は術前検査をして帰りました

 

 

手術の前日に

子宮口を開けて柔らかくする処置を

するのですが

私は流産手術のときに

あの痛みを経験していたので

とってもイヤでイヤで仕方なかったのですが

先生はとても上手で

違和感はありましたが

痛み止めも飲まず我慢できるほどでした

 

 

 

明日は手術です

 

手術の日を迎えました

 

 

主人が仕事を休んでついて来てくれました

不思議と不安や心配はなかったです

もう何度も手術や痛い思いをしてるからかな

肝が座っているかんじでしょうか

 

 

腰椎麻酔と、静脈麻酔をして

眠っている間に手術は済みました

 

 

手術が終わって看護師さんに

ベッドまで付き添っていただいて、

23時間休んでいたと思います

 

 

主人がお迎えに来てくれて

先生から術後の説明がありました

 

 

手術は無事に終わっていて

また癒着が再発しないように

1ヶ月〜1ヶ月半くらい

シリコンのプレートをいれて治療するので、

その間は不妊治療はできない

ということでした

 

 

手術して治ればすぐ不妊治療も

再開できるのかと思っていたので

少々ショックでしたが

これも待ちの時間だと思うことにしました

 

 

術後は、急に大量出血があったり

生理の出血が多かったりと

なかなかびっくりなことも多かったのですが

手術の前に聞いていたことなので

心配はなかったです

 

 

痛みもぜんぜんなかったので、

本当にホッとしました

 

 

その後、のんびり楽しく暮らし

1ヶ月半後に、シリコンを取り

神戸の医院を卒業しました

 

 

いろいろと融通をきかせてくださった

神戸の医院の先生には

大変感謝しています

ありがとうございました

 

 

 

ここからはまた元の婦人科に戻り

不妊治療ができる!

手術もしたし、期待は高まるばかりでした

 

 

 

 

婦人科へ予約を入れ

手術が無事終わったことを報告

 

 

採卵も何回もしていたので

受精卵も何個かあり

さっそく移植の準備です

 

ホルモン治療から始めましたが

やはり癒着手術をしたためか

子宮内膜がなかなか厚くならず

少し日程がいつものように延びましたが

移植は無事に済みました

 

 

このときの移植では

だいぶ期待しましたが

判定日

 

結果は陰性でした

 

 

 

 

このあとのことです

 

 

コロナが日本にも流行り出してしまい

政府から不妊治療している人は

時期を伸ばすように通達が出ました

 

 

治療法のわからないコロナですから

妊娠した後に、薬の使えない妊婦さんには

リスクが高いということでした

 

 

婦人科では、無理に治療を伸ばしなさい

という話ではありませんでした

 

 

もちろんリスクもあるのですが

年齢的にギリギリの人もいる

今しか治療できない人もいる

 

若くてまだ時間のある人には

採卵して時間を待ちましょうと言える

のだけれど、

そう言えない人もいるので

私には夫婦で決めてほしいとのことでした

 

 

私たちは話し合い

少しコロナが落ち着くまで

移植は待つことにしました

 

 

うん、それが一番いい

 

 

焦って移植して感染したら

今までやってきたことがムダになる

 

 

ここから2ヶ月ほど

移植を待つことになります

 

コロナがだいぶ落ち着いてきたので

主人と相談して

治療を再開することにしました

 

 

もうそのころには、

たくさんの患者さんが

治療を再開していたように思います

 

 

移植の準備が始まりました

お薬飲んでジェル塗って…

 

 

でもやはり、手術したせいもあり

今回も子宮内膜はなかなか厚くならず

また少し移植日が伸びましたが

無事移植できました

 

 

このときですかね

なぜか移植したあとに

ものすごく泣いてしまいました

なぜなんだろう

あんなに感情的になったのは

はじめてでした

 

 

こんなエピソードもあってか

期待しすぎた感もあり

 

 

結果は陰性

 

 

とてもショックでした…

今度は来てくれたかなと

少し思ってしまっていたから

 

 

 

 

次の移植の話になりました

 

 

もう残っている受精卵はひとつ

 

 

それはとても弱い受精卵で

移植するかどうか迷っていたものでした

 

 

移植しても、妊娠の確率は5%ほど…

 

 

 

先生に、着床前検査をして

異常があれば移植しないという

選択はできるのでしょうかと尋ねました

 

 

先生は

着床前検査は

一旦凍結した卵子を融解して

中の細胞を少し取り出して検査し

また凍結するので、

受精卵に少しリスクのある検査であること

 

 

たくさん受精卵がある人なら

検査を勧めますが

私の場合、もうこの卵子しか残っていないから

もし異常がない結果でも

卵子に傷がついて移植できないことに

なったりしたら後悔が残る

このまま移植するというのがいいと思う

ご主人と相談してみて下さい

という返答でした

 

 

主人に相談すると

 

「検査をするより

 先生が言ってるように

 卵移植してあげてダメやったら

 そこで今後のこと考えたらいいやん」

 

と言いました

 

 

 

私も冷静に考えました

 

 

私は移植の成功ばかり考えていて

受精卵のことは考えていなかった

なんてバカだったんだろうと思いました

 

 

この受精卵は弱いし、確率も低いけど

がんばって胚盤胞になって

生きようとしてくれている

まだ卵の状態だけど、

この子は私たちの子ども

どんな子どもであれ、

移植してあげて、

お腹の中にかえしてあげることが

親の私がしてあげられることではないかと

 

 

ごめんね卵ちゃん

検査するとか言っちゃって

お腹に戻ろうね

 

 

 

私は移植することに決めました

 

 

 

先生にそのお話をさせていただき

移植の準備に入りました

 

 

いつもはSEET法だったり

二段階移植だったりしたのですが

今回はSEET液もなくなっていたので

通常の培養液を使ったST法なので

さらに確率は低いです

 

 

いつも通り、お薬を飲み、ジェルを塗り

採血をします

やはりまた少し子宮内膜が薄いので

何日か延びましたが

無事に移植しました

 

 

移植後は期待はほとんどなかったですし

お腹にかえせたということもあったので

いつもより冷静に過ごせました

 

 

 

判定日

 

 

少し緊張しましたが

きっと地球がひっくり返らんと

ダメだろうと思っていたくらいでした

 

 

 

採血のとき看護師さんに

 

「なんか元気ないね」

 

と言われましたが

 

 

やっぱり気落ちしているのは

わかってしまうものですね

 

 

 

1時間後診察室に呼ばれ

 

結果は

 

 

陰性

 

 

私の最後の卵ちゃん

さよならしました

 

 

ツラさはもちろんありました

泣きたい気持ちももちろんありましたが

絶対泣いてはいけない

 

 

めちゃくちゃしんどかったです

でも冷静に先生とお話できました

 

 

 

先生とのお話しの内容は

最初に書かせていただいたお話になります

 

 

 

私の不妊治療は

終わりを迎えようとしていました

 

 

最後の移植を終えて

今、いろいろな想いをかかえています

 

 

やれるだけの治療はしました

検査も全部受けましたし

手術もしました

 

 

仕事でもいろいろありました

ツライことばかりでしたけど

今では仕事は辞めて正解だったと思っています

 

 

すべてにがんばったと思います

結果は出せなかったですけど…

 

 

自分を褒めてあげなくてはと思っています

 

 

 

 

しかしやはりまだ、

傷は癒えてない状態です

 

 

私の小さい時からの夢でしたから

ママになるということは…

 

 

結婚して子どもは2

娘が欲しいなぁなんて

ずっと夢をみていたことでした

 

 

どうしてもママになりたくて

いろんな治療、手術をしましたが

どれだけがんばっても

どれだけ努力しても

叶わないことってあるんだなと思いました

 

 

 

あと、主人と主人の両親、うちの両親には

本当に申し訳ないと思っています

 

 

主人ははじめは子供に反対みたいでしたが

だんだん子供がかわいく思えてきて

ここ最近ではとても欲しそうでした

歳上の嫁をもらったばっかりに

こんな結果になってしまって…

 

 

 

そして、私方には孫がいません

お父さんやお母さんが

孫が欲しいのを知っていただけに

親孝行できなかった…

 

 

 

主人の両親にもそうです

主人の姉には子供がいますが

嫁いでいるので、姓が違います

主人の姓を残してあげることができなかった

(まだ兄がいますが)

 

 

私が結婚せずのんきにして

婚期が遅かったから仕方ないと

うちの両親に言われました

 

 

違うんだよ…

何回か紹介やお見合いしてたんだけど

1人か2人だけ自分からお断りしただけで

後は全部、

「胃がんだから」

と言われてお断りされたり

ひどい時は、相手のご両親から

そんなお話もってこないでほしかった

などと言われたことも何度かありました

 

 

そんなときに、

今の旦那さんに出会ったんです

彼だけ

「そんなん気にしないけど」

と言ってくれました

 

 

そんな彼に彼の子供を

抱かせてあげたかった

 

 

 

何で私は子供ができないんやろう

何で私ばっかりツライ目に合わないと

いけないんやろう

もうけっこう不幸だと思っていたけど

まだここまで不幸なことが起こるのか

 

 

これは言ってはいけないことかも

しれないですが

私なんていなくなってもいいやん

とも思いました

 

 

 

 

今までは私もとても子供が大好きで

街で見かけるとかわいいかわいいと

すぐに寄っていってたのですが

今は少し躊躇してしまいます

 

 

妊婦さんを見るのもツライ状況に

なってしまっています

 

 

どうにか今の状況を受け入れたいと

四苦八苦しています

 

 

いつまでもこのままではいけません

 

 

これからの2人の生き方を考えなくては

いけません

 

 

 

 

ある人が、子供ができないご夫婦に

こんなことをアドバイスしておられました

 

 

「子どもに注がなくちゃいけない愛情を

 もうあなたは他の人に充分に

 注げているから

 子供に愛情を注ぐという勉強を

 しなくていいのかもしれませんね」

 

 

 

そうなのでしょうか

 

 

自分では他の方にも愛情を

注いでいるつもりですが

どう受け取ってもらえているかは

わかりません

 

 

それに

我が子に愛情を注ぎたいです

 

 

 

神様は乗り越えられる試練しか与えない

って以前に書きましたが

 

 

私に乗り越えられるのでしょうか

これでよかったんだって

思える日がくるのでしょうか

 

 

それはまだ答えは見つかりません

 

 

 

Mr.Children

 

Tomorrow never knows』の

 

 

 果てしない闇の向こうに 

  手を伸ばそう

 癒えることない痛みなら

  いっそ引き連れて

 少しぐらいはみだしたっていいさ

  夢を描こう

 誰かのために生きてみたって

  Tomorrow never knows

 心のまま僕はゆくのさ

  誰も知ることのない明日へ

 

 

 

この歌詞、曲を、今の私にあげたい

 

 

 

がんばれ私

 

 

 

 

でもね、

すごく感謝していることがあります

 

 

そしてこれまでずっと治療をしてくださった

婦人科の先生、看護師さん、培養士さんに

感謝しかありません

うまくいかない治療を

励まし続けてくださって

ありがとうございました



 

 

主人と両親に

心からの感謝をします

ありがとうとごめんなさいを…

 

 

 

 

 

そして最後に

 

 

一度妊娠したでしょ

あのときに本当に本当に幸せを感じました

胎嚢が見えた

赤ちゃんの心臓がパクパクいってるよ

私のお腹に赤ちゃんがいるんだって

 

 

それは言葉では言い表せないくらいの

幸せな時間でした

 

 

 

あのときのあの子に言いたい

 

 

 

私を少しだけでも

ママにしてくれてありがとう

 

 

幸せな時間をありがとう

 

 

私のところへ来てくれてありがとう

 

 

 

いつかあなたに逢いたいです

 

 

 

 

私はこれから前を向いて歩いていきます

 

 

 

今はまだこんな状態ですけど

いっぱいツライことを経験しなくちゃ

いけない人生なんですね、きっと

 

 

 

闇を抜けて明るい場所へ

 

 

 

必ず幸せになると信じて…

 

 

 

 

神さま

 

 

応援してください

 

 

 

 

 

まだまだ涙せずに書くことはできませんが

変わりたい一心で書かせていただきました

 

 

 

今不妊治療をしているみなさま

がんばってください

 

 

少しでもお手伝いをと思います

ここに書いたものは

ザッと書いたものですので

細かい治療内容は

本当にツライものですよね

ひとりでがんばらずに

誰かに頼ってください

 

 

 

 

最後まで読んでいただきまして

ありがとうございました

 

 

誰かに読んでいただけたということが

心の支えになります

 

 

 

 

本当にありがとうございました!

みなさまに心から感謝致します…