麻衣子の胃がん闘病記


1. 胃が痛い~!!

 

 

私は実はずーっとずっと胃の痛い子でした。(^_^;

 

ん…、かれこれ5~6年になりますか?(笑)

 

その原因は、前の職場からあるんです。

 

 

 

とある某有名な医療事務の派遣社員として働いていたころです。

 

かなりのうっとーしさ満載の病院に派遣された私。

 

当時、派遣は職員さんたちからよく思ってもらえてなかった病院でした。

 

最後にはお互い仲良くなっていたんですけど。

 

そこで、一年派遣でがんばったころに、急に「派遣撤退!」って話になったんです。

 

でも実は、病院関連会社が派遣業務を始めるので、そっちに派遣業者をかえるということだったんですけど…。

 

で、病院から新しい派遣会社に残ってくれないかと、引き抜きの話をいただきの、某派遣会社からも期待していただいてたので、

 

別の病院でもう少し修行して出世しないかと言われていました。

 

うっとーしい病院も一年いれば愛着も沸くさ。

 

やけど、出世したい!で、悩む私…。

 

結局、大好きな尊敬する先輩もいたし、仲のいい先生方や看護師さんたちもいたしってことで

 

病院に残ったんですが、

 

ここでなんと、病気になった!

 

 

 

「メニエール病」と「突発性難聴」

 

 

 

私の場合は、なんだか耳の中でヘリコプターが飛んでるような音がしてたんですよね。

 

看護師さんに「耳にヘリコプターがいてます~」なんて、ふざけていってみたら、

 

「それは大変!耳鼻科いきなさい」

 

なんて言われて行ったところ、左耳がヘリコプター耳鳴りのおかげであんまり聞こえてなかったんです。

 

それからは大変!!

 

耳聞こえへんし、吐き気もすごいし、何かフラフラやし、普通の生活ができない。(>_<)

 

 

 

こんな病気は何でなるんや…、と聞くと、極度のストレスらしい。

 

今の病院に残るか、派遣会社で出世するか、の選択で精神的にまいったようなのです。

 

そんな、体の調子の悪い中でもシフト制の仕事のため休めない…。

 

とりあえず、午前中は何とか仕事をせねば!ということで、毎日注射を打つ。

 

実は私は、「きらいなものベスト10」にはいるくらい、

 

注射が大ッキライ!!!カゼをひいても、点滴・注射は拒む。

 

献血も当然拒む(ごめんなさい…)。

 

あんな、とんがったのを刺されるんだもの、痛いっちゅうねん!!

 

こんなにキライなのに、毎日ほんまに注射がんばった!!えらいえらい。

 

そして、薬が超まずい!!(>_<)

 

いまだに過去最高にまずい薬NO.1ですね。ドロドロの液体で、ニガイ・マズイ・のどつまるの三拍子。

 

どんなおいしいご飯も、これを飲めば忘れてしまうおそろしいマズさ。

 

これも毎日飲まんと意味ないらしく、鼻をつまんで飲んだ。

 

なんてツライ病気なのかしら…。

 

とりあえず、二週間くらいしたら、聴力も回復したし、吐き気、気持ち悪さもなくなり、治ったんですけど。

 

今も、何かあると耳鳴りがしたり、目が回ったりします。

 

「メニエール病」って、治っても時々症状があったりするんだって。あらまぁ…。

 

 

 

そして、ここから胃の痛い毎日がはじまる…。

 

病院に残った私は、あまりの忙しさと、新人さんのフォローでまたまた極度のストレス…。

 

リーダーみたいな仕事をしていたので、とっても大変だった…。

 

レセプト期間になると、10時までの残業はあたりまえ!なんて生活でした。

 

そしたら、胃が痛くなった。

 

私の場合は、胃の入り口あたり?みぞおちが燃えるように痛い!!

 

「塩酸かけられてるねん~」って表現がふさわしいくらい。

 

最初は胃が痛いなんて、たいしたことないやんってわけで、ぜんぜん気にもしてなかったので、

 

市販の薬で痛みを止める。そして治る。

 

を、繰り返しやってるうちに、さすがに「胃痛くなりすぎちゃうの?」って心配になってきて、

 

内科の先生に診てもらい、「ストレスはだめよ~」って、薬をもらった。

 

 

 

薬を飲むと治るので、またほったらかし。

 

そしたら、また痛くなるので、内科に行く。

 

「つぎ痛くなったら、カメラしましょうね」っていわれて、ビビる!!

 

え??カメラって、胃カメラかしら??

 

イヤや~!!

 

 

人に聞く胃カメラ体験記、

 

それはそれは、気持ち悪いとのこと…。オエオエなるで~、よだれ出るで~って聞くじゃありませんか。

 

ロープみたいな管を口から入れるんやろー。

 

患者さんはよくやってはるのを見るし、医療事務やし点数算定もするけど、それとこれとは訳が違~う!!

 

一応先生には「じゃ、痛くなったら…」とか言っておいて、

 

内心「そんなんするかいっ」って思ってました(笑)

 

でも、やっぱり胃は痛くなる。

 

なんやねんこれは…。私にカメラをさせるつもりか(ToT)

 

うしてもカメラはイヤなので、先生が私のことを忘れるまで受診せず、市販の薬でしのぐ。

 

先生が忘れるわけないやんって思うでしょ?

 

これが、先生は忘れるのです(笑)

 

やさしくてとっても人気のある女の先生で、いつも患者さんがいっぱいで忙しいっていうのもあって、

 

忘れはるのです。

 

そんなやさしい先生だから受診してたんですけど(笑)

 

そんなこんなで、また受診すると、カメラの話はすっかり忘れてくれているので、

 

「次痛くなったら、カメラしてみましょうね」と、また薬をもらう。

 

また痛くなる、市販の薬でしのぐ、忘れたころに受診する、を繰り返していました。

 

こんなことを繰り返して一年くらい、病院を辞めることにしました。

 

歯科の仲良くさせていただいていた先生が開業されるというので、お願いして雇っていただきました。

 

 

 

はてさて、歯科助手をすることになったのですが…。

 

歯科助手は誰でもできるってウワサにきいていたから、余裕じゃんって思っていた私。

 

これが大間違い!!どんだけ過酷やねん…。

 

開業までに、先生のお知り合いの医院へ修行に一ヶ月行ったのですが、右も左もわからん!!

 

器具もわからん、歯が何本あるんかも知らんって訳やから、

 

それはそれは、精神的にも、体力的にもまいった…。

 

そこにいてはるスタッフの方々も、かなり個性的で、それに合わせてついて行くのもまいった…。

 

でも、自分から「雇ってくれ」と言った以上、愚痴はいえないし、スマイルスマイルでがんばったら、

 

やっぱり胃が痛い。

 

これはストレスだ!!

 

修行の身ですから、仕事中に薬を飲みに行く時間もなく、燃えるような胃の痛さに耐える日々…。

 

胃が溶けるぅぅぅ…。

 

思い出すだけでも、おそろしい…。最悪の一ヶ月…。

 

修行も終わり、新しい歯科医院が開院。「これで心機一転」っと思ったら、またまた大間違い。

 

こんどは、院長(開院したので、院長と書きます)がきびしい!!ものすごく細かい!!

 

スパルタ教育かよってかんじ。

 

患者様応対は言われたことはないのですが、アシスタントに関しては、

 

「あれがあかん、こうして。」っていうのを毎日言われて、夜中おいおい泣く日々(;_;)

 

仕事中に泣いたりしたこともあったし、医療事務に戻りたい…っていつも思っていました。

 

医療事務の仕事では、ほめられることが多くて、患者様応対も自信もあったし。

 

だけど負けず嫌いな私は、泣きながらも、「いつかOKと言わせてやる」と、

 

スマイルスマイルでがんばっていました。

 

 

 

これが、あかんかったんやと思う。

 

前の病院から今まで、ほんとにずいぶんここ何年我慢している。

 

仕事のことだけじゃなく、家のこととか、いろいろ悩むことがあり、ストレスを溜めている。

 

親友にも親にも、あんまり愚痴を言えず、溜めて溜めてがんばってしまう。

 

性格なのか、いつも笑顔で、おもしろいことを言って元気でいないといけない気がする…。

 

そんな私なので、ずーっと胃が痛かった。

 

歯科医院に移ってから、ストレスで体重が5Kg落ちた。

 

さすがに友達が心配しだしたけど、「体重が軽くなっていいで」って答えていた。

 

自分でしんどいのもわかっていたし、無理してるのも自覚していたけど、

 

院長の歯科医院に対する思い入れがわかっていただけに、弱音ははけなかった。

 

オープニングスタッフっていうのもあって、全員自分の患者様みたいに思えるし、

 

医療事務を始めたときから自分のなかで

 

「思いやりのあるステキな病院受付になる」という目標が常にあった。

 

病気になった人の暗い気持ちを少しでも和らげられるような、気持ちの良い応対をしたい!!

 

そんな目標です。

 

だから、どんだけしんどくても笑顔でがんばる。それが私の答えだった。

 

 

 

もちろん、胃が痛いのは治るはずもなく、毎日だましだまし薬でごまかす。

 

偶然にも、一階にクリニックがあったので(うちの歯科は二階)、そちらで胃の薬はもらっていたのです。

 

結局前の病院と同じく、痛い、治るを繰り返して、カメラ拒否ってかんじだったんですけど(笑)

 

そして、2003年大晦日の話です。

 

 

 

2. ついに胃カメラ

 

 

2003年大晦日です。忘れもしません、あの痛み…。

 

紅白を見て、さて寝よかとおふとんに入ると、胃がめっちゃ痛い!!

 

なんじゃこりゃ~。吐き気もある…。

 

こりゃいかん、史上最大の痛みだわ。

 

今まで胃は痛くはなるけど、気持ち悪いなんてなかったし、ビビる。

 

「年明けたら、下のクリニック行ってみてもらおう。カメラっていわれたらカメラせなあかんわ…。」

 

って思いました。

 

あんだけ嫌がってた胃カメラを、自ら、せなあかん!なんて思うほどですから、

 

よっぽどのことやと、みなさん思ってください。

 

それから、元旦も二日目もしんどいので、寝正月。

 

おやつも食べられへん。だって、気持ち悪いんやもん(>_<)

 

あああ~、ほんま最悪な正月休みだった…。

 

 

 

年が明けて休みが終わると、まってましたと、下のクリニックへ飛んでゆく。

 

「また痛いの?ちょっと痛いのが長いし、一回検査しとこうか。」と言われ、

 

おりこうさんに、「じゃ、仕方ないし検査しますぅ…。」って答えた。

 

「ぼく早いよ。7分で済むし、その後はすぐ仕事できるしね。」って先生は言う。

 

ほんまかいな…。

 

結局、仕事は休めないので、1月14日の朝にしてもらうことになった。

 

それから、スタッフみんなに胃カメラするぞ~って言うと、

 

「おお~!!」ってかんじで、数日間はいいネタになった(笑)

 

 

 

さて、胃カメラ当日。

 

まあ、覚悟も決めてるし、あんまり緊張してないけど、寒いので体はガチガチだった。

 

何か、まずい薬を検査の前に飲まされる。

 

キシロカインゼリーを、のどに入れて数分待つ。

 

あ、飲み込んでしまった…。(^_^;)

 

のどが腫れる~、なんじゃこの感覚は!?

 

そしたら、先生が「楽にしててね」っていうけど、無~理~!!

 

強引に入れるもんだから、ゲコゲコなるって!!のどに管は入ってるって~!!

 

とりあえず、ちょっとでも動いたらゲコゲコなるので、じっとしとく。

 

…ん??なんか7分より長いねんけど…。

 

隣についてくれている、婦長さんの顔つきがさっきと違うなぁ。何でや??

 

「組織採るからね」と先生に言われた。まぁ、組織くらい採ってくれていいわ。細胞診ってやつでしょ。

 

また、これがやたら長い。なんでやろ…。

 

かれこれ20~30分くらいして、やっと終わった。

 

「もっと早く、検査しといたらよかったね…。」と先生が言った。

 

胃潰瘍があるのと、気になる箇所があるから、そこの組織を採ったらしい。

 

そのとき私は、別に何とも思ってなかったので、「そうですか」と、のんきに答えていたが、

 

婦長さんの顔色だけは見逃さなかった。

 

かなり、私をあわれむ顔をしている…。なぜだ…。気になる…。

 

とりあえず、胃潰瘍があるので、お薬と毎日注射を打つように言われる。

 

注射かよーー(T_T)

 

注射はいややけど、さっきの先生のセリフといい、あんまりよくない…ってことは、このとき少し感じていた。

 

だけど、胃潰瘍やと信じたかったので、毎日注射をすることにした。

 

注射毎日って、注射嫌いな私にとっては大決心!!

 

検査の結果は一週間後ですって…。

 

 

 

 

3. 告知

 

 

それから毎日注射を打って、薬を飲んでいるせいか、痛みななかった。

 

毎日針さされて、手痛いねん…。最悪や~。

 

と、胃カメラから5日目。1月19日。

 

お昼休みに、クリニックの先生から、うちの院長に電話があった。

 

ぜんぜん、気にしてなかったので、普通に夜まで仕事をする。

 

若干、院長が昼から元気がないような気がするけど…。

 

夜8時前、クリニックの先生から、私宛に電話がきた。

 

「検査結果が出たから、今から来れる?」

 

ここでピンときた。

 

私やばいかも…。

 

院長に「クリニックの先生から電話があったから、結果聞きにいってくる。

 

私やばいかもしれませんね~」って言ってみた。

 

そしたら院長が「そうかもしれん。行ってきたら」って言う。

 

おや?大丈夫やって言ってくれないの?先生。

 

意を決して、結果を聞きにいく。

 

クリニックのスタッフの人たちの、私を見る目がいつもと違った。

 

私本気でやばいんや…。

 

待合室で待っていると、うちの院長が後からやってきた。

 

「先生もひょっとして一緒に呼ばれた?」と聞くと、院長が「うん…」って答えた。

 

先生は知ってるんや、昼間に電話あったし、元気なかったやんか…。

 

私は確信した。これは、あかん。告知や…。

 

 

 

案の定、クリニックの先生から出た答えは「悪性」だった。

 

何やら細かい説明してくれはったけど、そんなのはまったく覚えていない。

 

手術が必要だということだけ覚えている。

 

私この歳で死ぬんや…、死ぬんや…って思った。

 

病名をはっきり言ってくれてなかったので、自分で「私はガンなんですよね…」と聞いてみた。

 

「そうなるね」と言われ、私は「どのくらい生きれるの?」と聞いた。

 

「手術したら生きれるよ」と言われ、「じゃあ、手術します」と力なく答えた。

 

それから、簡単にどんな手術かの説明をされた。

 

CT撮ったり、胃カメラもう一回したりするらしい。

 

お腹を切るらしい。2~3週間入院するらしい。術後はご飯の食べ方に気をつけるらしい。

 

ちょっとまってくれ、今そんな話聞いても怖いだけや…。

 

私はガンって言われたんやぞ~。

 

涙がでる(;_;)

 

死ぬかもしれん病気になってしまった。

 

何が悪かったんやろう。

 

何かバチあたるようなことしたかな…。

 

いままでいいこと、ちっともなかったのに、また悪いこと起こるんか…。

 

神様なんておらんねんやわ…。

 

顔では「大丈夫」っていう表情をしていたけど、座っているだけでほんとは精一杯だった。

 

 

 

どこの病院で手術するか聞かれた。

 

私は大阪に住んでいるけれど、職場は兵庫県伊丹市。

 

クリニックの先生は、「ぼくが紹介できるのは、川西のK病院だけど、

 

入院したら親御さんの都合もあるし、近くの病院で探す?」と言われた。

 

そんなんわからへん。

 

川西のK病院へ紹介してもらうとコネがきくらしく、入院が早くできたり、オペを早くしてもらえたり

 

いろいろメリットがあるような話だったんだけど、

 

とりあえず「入院中寂しいのだけは避けたいから、家の近くがいいかな」と答える。

 

うちの院長は、大阪の医大に勤務してはったので、そちらでも探してもらって、

 

後は自分で決めるということになった。

 

その日はそれだけ話して帰った。

 

院長が「とりあえず、こんなことになってしまったから、明日から仕事休み…」と言った。

 

私もショックで、みんなに何て言えばいいかわからんし、休ませてもらうことにした。

 

自分で車を運転して帰ったが、そのときどうやって帰ったとか、何を考えてたとかまったく覚えていない。

 

 

 

「親になんて言おう…」それが一番悩んだ…。

 

 

 

4. 葛藤

 

 

私はかなり親泣かせの子供だった。

 

生まれて3ヶ月で、両足脱臼と「斜頸」が見つかった。

 

脱臼は、赤ちゃんなのにコルセットをはめられていたらしい…。

 

「斜頸」というのは、簡単にいうと首が曲がっている病気。いつも首が傾いている状態で、自分ではそれが普通。

 

親は「女の子なのに、首が曲がっていてはかわいそうだ」と、3歳で手術をした。

 

3歳なので、ちっとも覚えていないけど、あまりの小ささに先生の言うことを聞かなかったから、

 

首の曲がりは治らなかったらしい。

 

またまた、7歳で手術をした。

 

これははっきり覚えていて、かなりのわんぱくっぷりを発揮していたと自分で思うし、親にも言われる(笑)

 

好き放題、やりたい放題で、入院生活はひじょ~うに楽しかった。

 

だけど、2回も手術をした傷は目立っていて、親は体に傷を残してしまったと思っており、

 

大きくなったら、形成で治してあげようと考えていてくれたようなのですが、

 

私は思った以上に気にならず、そのままでいる。

 

けっこう見たらわかるので、人からは「どうしたの?」とよくいわれますが…。

 

 

 

こんな自分の病気がちなことを思うと、とても親に「ガンやねん」とは言えない…。

 

ものすごい親不孝な娘だと思った。

 

また心配をかけることになる。

 

どうやって言ったらいいのか、わからん…。

 

そして、いいのか悪いのか、私はまだ結婚もしてないし、彼氏もいなかった…・。

 

これもまた、悩ませる。

 

何で28歳の、しかも独身で彼氏もいない私に不幸がやってくるの!!

 

結婚して子供もいたら、ある程度の幸せを感じてからの不幸かもしれんけど、

 

私はほんとに、この28年間いいことがあんまりない…(T_T)

 

仕事もしんどい、家の環境も悪い、出会いのきっかけも少なく今まで独身だし…。

 

1回だけいいことがあったのが、成人式のときに、異常にモテたということかしら。

 

神様って不公平なんやなぁ。

 

もう私にいじわるするのはやめてほしい。

 

あんたが、私にいいことをくれへんから、ストレス溜まってガンになるんちゃうの??

 

って、神様にあたる始末…。

 

とりあえず、自分の人生最悪なのに、また泣く…。

 

 

 

家に着く。

 

手術せなあかんことは、どうしても言わなあかん。

 

けど、私のとった行動は「うそ」をつくことだった。

 

おかあさんに言う。

 

「私さ、こないだの胃カメラの結果あんまりよくなくて、手術せなあかんらしいねんけど、

 

病院はやっぱり大阪のほうがお母さんの来やすいしいいよな~」

 

先に寝ていたお父さんにも、同じような内容で言った。

 

そう、私は親に「ガン」であることを言えなかった。

 

親は当然びっくりするけど、胃潰瘍で手術すると思ったらしく(毎日胃潰瘍の注射をしていたから)、

 

手術でまた傷が残ることを心配してくれた。嫁入り前なのに…って。

 

早く手術したほうがいいんやったら、そうしなさいって。自分でいいように決めたらいいって。

 

じゃあ、自分で決めよう。

 

今日はいっぱいいろんなことがありすぎて疲れたから寝るよ…。

 

 

 

次の日、1月20日、仕事は休む。

 

一人でお家で過ごす。

 

いらんことを考えてしまう。

 

一日たつと、ガンって転移あるよな…。私は転移してないんか?

 

手遅れってことはないんか??再発するんちゃうん???

 

ヒマがあるといらぬことを考える。

 

…友達にはなんて言おう、内緒にしとくべきか…。

 

一日ってこんなに長いものやったっけ??

 

夜、院長から電話があった。

 

「どう?」

 

「はぁ、別に何の変わりもないですよ~。痛くもかゆくもないしね~」

 

「そっか、そっか、元気やねんな」

 

「まぁね」

 

「はなまた、電話するわ」

 

心配してくれはったのね…。ありがとうございます…。

 

 

 

次の、1月21日、お母さんも仕事が休みなので、京都の「鈴虫寺」に付いてきてもらうことにした。

 

「鈴虫寺」ってご存知ですか?

 

ひとつだけ願い事をかなえてくれるって、京都で有名なお地蔵様がいてはるんです。

 

私も何度となくお願い事をしに行きましたが、かなえてもらった覚えはない…(笑)

 

でも、わらにすがる思いで、今度こそ願いをかなえたまえ~ってお願いしてみる。

 

平日だというのに人いっぱいで、女の子の集団がいっぱい!!

 

みんな恋愛のお願い事でしょうね。

 

「ガンを治してくれっていうお願い事なんて、この中で私だけや」って思いながら、涙が出た。

 

お守りのお札を買った。

 

 

 

この日から毎日退院するまで、お地蔵様にお願い事を繰り返し祈った。

 

 

 

この夜、また院長が電話をくれた。

 

「元気そうやな~」

 

「何も変わりませんって。だって2日前まで働いてたでしょ~、急に病人にはならへんって」

 

「じゃ、無理を承知で、また明日から働いてみ~ひん?病院決める相談もしやすいやんか」

 

「あ~、別にいいですよ。家にいたっていらんこと考えるしね」

 

って話で、私の休みは2日で終わった。

 

親も、元気やったら働いたらいいやんって言ったし、私も気がまぎれていいと思ったから、

 

病院と入院が決まるまで働くことにした。

 

 

 

5. 病院決める

 

 

さて、次の日から何もなかったかのように仕事に出かける。

 

スタッフのみんなには、病名など院長から話をしてもらっていたので、

 

仕事をしに出てきたときはびっくりしていた。

 

まぁ、あたりまえよね、ガンだと宣告された人が仕事しに来たんだから(笑)

 

気を使ってくれるので、いい反面、こっちも気を使う…(^_^;)

 

でも、何日か仕事に出ているうちに、みんなすっかり私の病気は忘れて、ふつ~うに働かされてたけど~(笑)

 

だけど、不思議と以前みたいに「しんどい」とかいうことは思わなくなった。

 

悟りを開いたようなのです…。

 

車に乗っていても、普通なら「むっかつく!!」って思うことも、どうぞどうぞと思えるようになっていたし、

 

いつもの通勤の道がえらいキレイにみえたり、人に優しくなれている自分がいる。

 

「空ってこんなにキレイなんだぁ…」

 

それはそれは、修行を終えた一休さんのようになっていた!!

 

何か、見方が変わると人生観が変わるものだと思った。

 

きっと、今までいろ~んなことにがんばってたんやわ…。

 

人の顔色を見て、周りに気を使う。

 

負けず嫌いで、何でもがんばる。

 

言いたいことが言えず、ストレスが溜まる。

 

悟りを開くと、自分のいろんな許容範囲が広がるのか、何でも楽に考えられるようになったかも。

 

これは、大変いいことです。

 

この悟りが、後々の私にプラスになることとなるのです。

 

 

 

前の生活に戻って仕事をしていても、病気はなくならない…(あたりまえ…)。

 

病院を一刻も早く決めないと、何かガンが増殖しているような気分になる。

 

一日で、でっかくなってるんちゃうか?って自分では思うんです。

 

 

 

院長が、お知り合いの先生に私のことを話してくださり、

 

大阪の関西医科大学附属病院におられる先生で、相談にのってくださった。

 

一回、うちの病院へおいで、ということだった。

 

ただ、大学病院ってのは、手術してもらうのに、今からでも3週間待ちだというお話。

 

これが、ひっかかった…。

 

3週間て意外と長いぞ…。

 

増殖するんちゃうのか~ってまた思う。

 

しかも大学病院って、研修医の先生とかに観察されるんやんなぁ…。

 

川西のK病院やとすぐ入院できるかもしれんし、手術も早いかもしれん。

 

でも、遠いやんか…。

 

悩む…(T_T)

 

 

 

先生曰く、「3週間でどうのこうのにはならへんから、

 

手術したあとのフォローをちゃんとやってくれる所を選んだ方がいいよ。

 

若いから、後にもずっと続くねんから」って。

 

手術することに頭がいっぱいで、何年先のことはまったく考えていなかった。

 

よく考えたら、28歳やもの、再発する確率だって人生長い分だけ多いんちゃうの~??

 

そうだよ、悪いところ採っただけでは終わらんねんって!!

 

これは、いかん、視野を広げろ麻衣子!!

 

 

この後、関西医科大学附属病院へ行く決心をする。

 

 

 

1月26日(月)、

 

関西医科大学付属病院へ紹介状を片手に行く。

 

月曜やし、めちゃ混むで~と予想していたので、もちろん仕事を休んで朝から順番待ち。

 

一人で行ったので、ヒマやね。

 

問診表とか書くけど、「病名は知っていますか?」とか質問に書いてあるで!!

 

知ってるっちゅうねんって、一人つっこみ(笑)

 

検査の結果とか全部知らせていいかって書いてあるけど、それも微妙やな~。

 

死ぬような話は嫌やけどなぁ、でもとりあえず「いい」に丸つけとこ。

 

 

 

1時間待ったくらいの、10時すぎに呼ばれた。

 

めっちゃめちゃ、緊張…・

 

知らない先生はとても苦手な私。

 

これは子供のときの斜頸の手術に原因があって、病院の先生ってのは、痛いことをする人やと思っていたらしく、

 

いまだに苦手にしているみたい。

 

中へ入ってみると、先生が二人いる。

 

これが、大学病院の診察ってやつ!?

 

奥にいてはる先生はコンピューターを打ってるわ!偉い先生になると、こんな診察なのねってまじまじと観察。

 

先生が「若いのにガンって、びっくりしたでしょう」って言った。

 

緊張しているので「はい…」と答えるのが精一杯。

 

「初期だと思うから、手術したらよくなるよ。大きさとか他のところも検査して調べてみましょう。

 

2月17日くらいに手術にしとこうか。今日は、入院前の検査もして帰ってね。」

 

あらっ、もう手術日決まったで!!

 

早っ!!

 

でもやっぱ3週間やなぁ。

 

緊張しているので、あんまり先生ともお話せずに、おりこうさんにしていた。

 

と、いうわけで、その日に血液検査・心電図・肺機能・レントゲンなどなどをして帰り、

 

1月30日の胃透視の予約をしてくれる。

 

CTは別の病院ですることになり、その日のお昼に紹介状を持っていくことなった。

 

検査結果は来週の診察でということで…。

 

 

 

CTを撮るのは初めて!!

 

行ってみると、古い病院で、なんだか怖い…(>_<)

 

お昼やからかなんか知らんけど、人っ子ひとりおらん、おるのはお掃除のおばさんだけ。

 

どんなとこやねん、ここは。

 

緊張するので、トイレに行っておこう。

 

すると、なんと、おばあちゃんが洗面所でコルセットを巻きなおしている!!

 

ズボンをおろしてはるので、あらあら…(笑)と思いながら前を横切ろうとすると、

 

「ちょっとお姉ちゃん、後ろへ巻いてくれへん?」と言われ、おばあちゃんのお手伝いをした。

 

「ごめんなぁ、おばちゃん後ろ見えへんねん、さよなら」と言いながら、おばあちゃんは去っていった。

 

さすが大阪のおばあちゃん!使えるものは、知らないお姉ちゃんでも使うのね(^_^)

 

そうしていると、呼ばれたので、CT室へ行く。

 

服を着替えて、いざCTへ。

 

「造影剤を入れますので、点滴をしながらやります」って言われた。

 

え~、まじで~、そんなん聞いてないって!!

 

知らん人に、いやだとも言えないので、しぶしぶ針をさされることになった。

 

これが、なんて長い針なの~~!!

 

どこに刺すねん!!え?手首??痛いんちゃうの???ひゃ~。

 

「ちょっと痛いですよ~」って声をかけてくれるけど、もんのすごい痛いで、看護師さん!!

 

最悪なことに液がもれたらしく、針は抜かずにすんだものの、

 

点滴の差し替えをされた…。いた~い…。

 

半泣きで、CTを撮った(TOT)

 

 

 

帰り、お昼ご飯を食べていなかったので、コンビにでおにぎりを買って、車で食べた。

 

なんか、急に泣けてきた…。

 

こんな病気になった、自分がかわいそうになった。

 

しんどい検査もせなあかんし、痛い手術もせなあかん。

 

これから何ヶ月痛い思いをせなあかんのか、どんだけがまんせなあかんのか不安になって、おいおい泣いた…。

 

何で私だけこんなツライ思いをせなあかんの…。

 

みんな普通に暮らしてるやん…。

 

涙は止まらない…。

 

 

 

次の日、仕事へ行き、さっそく昨日の話をみんなに聞かせる。

 

「CTは痛いで、痛いで~」って言って笑いをとる。

 

一人、陰で泣いているが、みんなの前では芸人魂は抜けないみたい…。

 

そして、2月の半ばに手術をするよって伝えた。

 

 

 

1月30日(金)

 

胃透視。

 

これも初めてなので、緊張する。

 

周りを見てると、どうもまた注射をしているように見える!!!

 

なんでや~~!!

 

しかも、筋肉注射してるで。

 

え?私もかしら??違うことを祈る…。

 

着替えて出ていくと、「胃の動きを弱めますので、注射をします」と言われた…。

 

でた…、やっぱり注射かよ~。

 

注射は嫌いです、しないとダメですかって一応訴えてみる…。

 

「ちょっと痛いですよ」と言ってくれるが、またちょっとどころの痛さちゃうで、液が入るときが痛い!!

 

で、針刺したまま「指先とかしびれてない?」って聞くので、

 

「はい…、早く針抜いて…」と言ってしまった(k^_^)

 

いざ、検査。

 

バリウム初体験。どろどろの奇妙な液体。においは、いいにおい。

 

台に乗っかって、台がぐるぐる動く。先生の指示で、台の上で私もぐるぐる動く。しかもバリウム飲みながら!!

 

そして、これがまた、先生の声が小さいうえに、滑舌が悪い!!

 

ジャイアンを、大人にしたような先生で、

 

マイクを使って指示しはるから、声がこもって、何いってるかさっぱりわからん…。

 

「右向いて」か「回って」なんか、もう聞こえへんのよ~って。

 

顔で「今なんて??」って表情を作って、必死に先生の方向へ訴えてみるが、

 

支持どおりに動いていないから「違~う、左向いて!」って怒られる。

 

なんだよ、先生滑舌悪いね~ん。

 

やっぱりジャイアン、マイクがあかん。

 

あ・い・う・え・お、って練習しろ~~。

 

胃を膨らませる、サイダーみたいな味の粉を飲んだので、胃が膨らんでパンパン!!

 

ゲップゲップ。

 

最後に下剤を飲まされる。甘いのか苦いのか、なんともコメントしづらい味の飲み物だった。

 

胃透視初体験、無事終了!?

 

 

 

次の診察までは、結果が心配だった。

 

問診表で、検査の結果は全部知らせる、に丸を付けたし、

 

転移があると、テレビみたいに「余命あと○ヶ月です」っていわれるで。

 

どうなるのだろう、私…。

 

眠れない、不安な夜を過ごす。

 

何度となく、悲しくて泣く。

 

 

 

 

6. カミングアウト

 

 

2月2日(月)

 

二回目の診察。

 

今日は、検査結果の日だ。

 

朝から、診察に行きたくないとグズグズしてしまう…。

 

 

 

ドキドキしながら、診察室に入る。

 

「ほかのところは大丈夫みたいです。ここにある小さいのがガンなんだけど…」

 

と、説明してくださったが、また緊張のあまり、あんまり頭に入っていなかった…。

 

でも、転移がなくてよかった。

 

これで、もう少し生きられる…。

 

まだ未来はあるかもしれない。

 

手術の説明も簡単にしてくださっていたけど、胃の下2/3採るってことと、

 

残せるところは残すようにすると言ってくださったくらいしか覚えていない。

 

とりあえず、私は緊張し~なのである。

 

「13日から入院ね。じゃあ、手術がんばりましょう」と診察は終わり。

 

入院受付へ行き、入院の予約をして帰る。

 

いよいよ、入院・手術が近づいてきた。

 

 

 

いまだ両親をはじめ、友達にも「ガン」だと話せていない。

 

「ガン」という言葉を、自分で言うのがすごく怖かった…。

 

なんだか、ものすごく怖かった…。

 

「ガン」のイメージは、やっぱり「死」というのを連想させ、

 

人に言うと、自分は死んでしまうのではないかと思ってしまった。

 

 

 

ただ、その反面、実は

 

「死ぬなら、今ここで死んだほうがいいのかも…」と思ったこともある。

 

あんまり今までいいことがなかった、というのは本当の話で、

 

さすがにちょっと、いろいろヘコんでいた…。

 

 

「死にたくない」と「ここで終わっても…」という気持ちで、とても不安定だった…。

 

 

話は戻って、

 

さすがに、入院してしまって、メールや電話が通じないと友達にもバレるだろうと思って、

 

心配かけたくない友達は入院前に遊んでおいて、一ヶ月くらい連絡しなくても

 

「忙しかってん」で済ませようと、知恵をしぼって考えた。

 

それからは、ハードスケジュールで遊んだ(笑)

 

 

 

ただ、ほんとに仲のよい友達にはそうもいかないし、何とか言わなければ…。

 

あいまいだけど、「胃潰瘍が悪性で手術するから入院する」と、3人に言った。

 

1人目は、高校は違うけど、10年以上の親友、なぁちゃん。

 

2人目は、初めての職場の親友の、今は整体師のまきちゃん。

 

3人目は、病院に勤務していた時の、大好きな尊敬する先輩、田口さん(今は熊本さんだけど)。

 

なぁちゃんは、私の言うことをそのまま信じてくれた。」

 

が、まきちゃんと田口さんは、医療に携わっているだけに、私のウソを見破った。

 

「胃潰瘍で手術するのはおかしい」と言われた。

 

もう、ほんとのことを言わなければならない…。

 

胃カメラから、今までのことと、自分はガンであると話した。

 

二人とも電話の向こうで、声がなくなった。

 

暗くさせてしまった…と思い、「大丈夫!!治らない病気じゃないから。私がんばるから!!」と言った。

 

「何でもするから言って、お見舞い行くから」と必死にはげましてくれた。

 

 

 

言えてよかった…。

 

一人で抱えるのはさすがに重かったので、勇気を出してほんとによかった。

 

親には、ガンだと言うのが悲しまれるのか、言わないのが悲しまれるのかわからなかったから、

 

やっぱり言えず、あいまいなまま…。

 

でも、なんとなくわかっている様子ではあるのかなとは感じていた。

 

 

 

それからは、入院にむけての用意をした。

 

入院中にぶっさいくは嫌だ~と、髪の毛を染め直しにいったり、

 

ダサいパジャマは嫌だ~と、パジャマを買いにいったり、

 

枕が変わると嫌だ~と、おしゃれキャット「マリーちゃん」の枕も買った。

 

後、入院中の自分をみんなに見せたかったので、わざわざ携帯電話もカメラ付きに変えた!!

 

うっしっし(^O^)v

 

仕事も、入院の2日前まで行った。脅威的である!!

 

疲れしらずの私。私はほんとにガンなのか??と自分で思った(笑)

 

 

 

このときちょうど、「白い巨塔」がはやっていて、私も夢中で見ていたけど、

 

みんなから「見るのはやめろ!!あれは体に悪いし、いらぬことを考える!!」とお叱りをうけた。

 

そういえばガンの話だわ…。

 

でも「財前教授、おもしろいし、見たいなぁ。」と腑に落ちないので、

 

これからはビデオにとって、手術が終わったら見ようとがまんした(笑)

 

唐沢さんの財前五郎は最高やね。

 

 

 

入院の前々日に、まきちゃんが

 

「手術したら、ご飯がいっぱい食べれなくなるから」と、イタメシのコースを予約してくれた。

 

ケーキも食べに行き、もう食べられへんってくらい食べた。

 

ほんとうにうれしかった。

 

入院前の不安なときに遊んでもらえたことで、気が休まった。

 

何て感謝したらいいのか分からないけど、

 

持つべきものは友であるというのは、このことだと思う。

 

まきちゃんには、ほんとにお世話になっている。

 

いつもいつも、私のファンだといっていくれて、私を褒めてくれる。

 

私がヘコんでいたら、がんばっている私がいいといって、いつもなぐさめてくれた。

 

彼女が困ったときには、真っ先に自分が出ていこうと心に誓った。

 

 

 

 

7. 入院

 

 

1日目、2月13日(金曜日)、入院。

 

 

さすがに大荷物なので、弟についてきてもらった。

 

10時30分ころに、病室に上がる。

 

同じ日に入院の人が何人かいたけど、私だけ異常に若い…。

 

エレベーターで、おじさん、おばさんが「あなたは何?」ってかんじで私を見る。

 

私の服装も、病人に見えない格好やから仕方ないけど…。

 

 

 

4階についた。

 

順番に病室へ案内してくれる。私も案内されたお部屋へ行く。

 

6人部屋のドア側のベッドだったので、ラッキー!!と思った。

 

隣に壁があると何かとやりやすい(笑)

 

弟と「今からどうしたらいいん?」って二人で悩んだ。

 

弟は「タバコ吸いたい」とうるさい。喫煙室へ行って来いっ!!

 

タバコをあきらめたのか、コーヒーを飲んで、

 

「することないし帰るわ。何かあったら電話して~」といって、白状にも帰った!!

 

私ヒマやん…!!

 

 

 

この部屋では、お隣のおばさんと、斜め前のお姉さんと、私が新人らしい。

 

数日後、斜め前のお姉さん!?と大親友となるのですが、またその話は後ほど…。

 

そうしてるうちに、看護師さんがやって来た。

 

入院中の説明と、お風呂やトイレの場所の説明、手術後の経過の説明などなど、

 

わかりやすいようにかいてある紙をくれた。

 

それによると、2週間で退院?

 

まじで~!!早いなぁ。

 

けど、怖いことも書いてある。

 

術後、次の日に歩いてよいって書いてるで、どんどん歩けって書いてる。

 

どんな回復力やねん…。

 

「手術後の痛みどめ」の紙がやたら、気になった。

 

術後、背中から、硬膜外ブロックを入れてるって書いてある。

 

それでも痛かったら、座薬や痛みどめを使いますって書いてある~!!

 

どんな痛いねん…(>_<)

 

おーそーろーしーいー!!!

 

はぁ…、いきなり気分はブルーに入った…。

 

ひととおり説明してくれはったら、そのうち担当の先生がくるから待っててくださいとのこと。

 

じゃ、着替えてのんびりしよう。

 

無事入院したことを、みんなに言おう!!とメールを隠れて打った(笑)

 

そしたら、田口さんがお昼から暇だから来てくれるという。

 

わーい、待ってま~す(^_^)/

 

 

 

と、してたら、「こんにちは~」と、先生がやって来た!!

 

私も「こんにちは~」と答えた。

 

「外来で手術の説明きいてはる?」って聞くから、「…ん、まぁ少し」と答えたら、

 

じゃあ、もう一回説明してくれるという。

 

おお、よかった。外来では、聞いてるか聞いてへんかわからんかったの。

 

「じゃ、ちょっと待ってて」と、レントゲンやら何やらいっぱい持って、別室へ行った。

 

先生は、ガンの大きさとか、どんだけ採るとか、素人の私に、こと細かに教えてくれはった。

 

おかげで、めちゃめちゃよくわかった!!

 

なぜか先生には初対面なのに緊張しなかったので、

 

べらべらといつものようにしゃべり、質問ぜめにしてしまった(笑)

 

自分のレントゲンを見て、あれは何?やら、何でガンになるん?とか、いつから私はガンやの?とか

 

それはそれは、今まで溜まっていた疑問を言ってみた。

 

先生はきっと「よ~しゃべる子やなぁ」と思ったに違いない…。

 

親にも手術の説明するから、と言ってくれはったが、実はやめて欲しかった…(^_^;)

 

前にも言ったように、ガンやとはっきり言うていないので。

 

けど、そんなことは知らない先生は「説明するよ」って言う。

 

話のなりゆきで、手術の前日に親に説明してくれることになってしまった。

 

もう、いっか。お父さんお母さん、びっくりしてくれ!!

 

 

 

最後に「気になってると思うけど、傷は真皮縫合しますから」と言ってくれた。

 

うれしいびっくりだった!!

 

 

 

お腹に傷が残るのは、実は考えないようにしてきた。

 

というのも、それよりもガンを採らないといけないのに、そんな心配するなって思っていたから…。

 

でも一番気にしていたことだった。

 

私には首にも傷がある、それにましてお腹にも傷ができてしまう…。

 

しかもガンである…。

 

水着が着られないとか、そういう単純な話ではなく、

 

もう何もかもあかんな…と、これから先の人生のいろんなことをあきらめた。

 

今思い出して考えただけでも、泣けてくる…。

 

あきらめるのは、とてもとてもツライことだった…。

 

傷のことは考えず、体を治そうと思い直したからだった。

 

先生から、傷をキレイに治すなんて話をしてもらえるなんて夢にも思ってなかった。

 

外科の先生って切るのが仕事やから、そんなこと考えないよと思っていたし、

 

男の人にはわからんやろと思っていた。

 

私の年齢や結婚してないことも考慮してくれたんかなと思うと、

 

ほんまに先生には感謝しないといけない。

 

「ありがとうございます」とその場で笑顔でお礼を言った。

 

後で、病室に帰ってうれしくて泣いた。

 

みんなに「傷キレイに縫ってくれるって!」ってメールもした。

 

入院前に、院長のお知り合いの先生から

 

「手術したあとのフォローをちゃんとやってくれる所を選んだ方がいいよ。」と、言われたことを思い出す。

 

ほんまにそうやなぁ…。

 

私は、ここの病院にお願いしてほんまによかったと思う。

 

先生、ありがとう…!!

 

 

 

お昼ごはんを食べて、お見舞い第一号、田口さんが遊びに来てくれた。

 

術後の計画とかを見ながら、わいわいとしゃべった。

 

 

 

田口さんが帰った後、本を読んでいると、同じ部屋の人たちが話をしはじめた。

 

私は、初めは人見知りする人なので、話に参加せず、聞いてるだけだったけど。

 

だいたい肝臓の悪い人が多く、手術した人が一人いて、これから私と同じ日に手術する人が二人いた。

 

お隣のおばさんが、なかなか話の好きな人らしく、手術の話をしきりに聞いていた。

 

そして自分から、その人の体験談を聞いておきながら、やたら怖がっていた…。

 

私は、さっき先生から手術の話は聞いて、十分やと思っていたし、

 

怖がったりするもんかと気張っていたので、そうかそうか~と聞き流していた。

 

ここでも「若いのに、どこが悪いん?」と聞かれた。

 

「胃が悪いんです」とだけ、答えておいた。

 

ガンだというのは、まだ口にするのは怖かったから。

 

 

 

看護師さんが、「先生から外泊許可でてるから、外泊したかったら言ってくだいね」と言われた。

 

おいおい、入院してすぐ外泊OKってか??

 

別に家に帰ってもびっくりされるだけやけど、

 

とりあえずお風呂にゆ~っくり入りたいって理由で、明日は家に帰ることにした。

 

 

 

 

2日目、2月14日(土曜日)

 

 

 

どうも、外泊の日は2月14日でバレンタインだったみたい…。

 

病気の私には、うれしいこともなんともなく、

 

昨日先生に「読んでみたら?」と言われた「胃がん治療・ガイドラインの解説」という本を探しに行った。

 

教えてもらった本屋さんが、参考書ばっかし売ってる本屋さんで、その本が見つからない…。

 

店員さんに聞こうかと思ったけど、自分がガンだと知られたくなかったから、

 

ちぇっちぇっと残念に思いながら家に帰った。

 

よく考えたら、その本を探してるからといって、自分がガンかどうかは人にはわからんよなぁと思った(笑)

 

家で何をすることもなく、豚カツを食べて、外泊してます!メールをみんなに打って、お風呂に入って寝た。

 

 

 

 

3日目、2月15日(日曜日)

 

 

 

お昼に病院へ帰ってきた。

 

ナースステーションで、「戻りました~ぁ」と言うと、「変わりないですか?」って、先生がいた。

 

「あ~、変わりないです、元気元気!」と答えると、先生は笑ってはった。

 

 

 

その日は、まきちゃんの友達の整体師の友達が来てくれるとメールがあった。

 

その人には、まきちゃんから「胃潰瘍ってことにしといたし」ってことで聞いていたので、焦りまくり…。

 

んんん…、どうしようか…。

 

ま、せっかくお見舞いに来てくれるんだから、言ってしまえ!!

 

ってことで、ウソをついていたことを言うと、えらくびっくりしていた。

 

でも「まいちゃんなら、大丈夫や」って言ってくれた。

 

おみやげに「アップルパイ」を持ってきてくれたのだけど、明日は胃カメラじゃ~ん(>_<)

 

食べたらあかんねん。

 

おあずけかよ~ぅ…。ちぇっ…。

 

 

 

胃カメラなので、またアレかよ~と憂鬱…。

 

でも、手術の覚悟を決めているから、拒否ってわけでもない。これもまた不思議。

 

夜に、またまた同室の人たちが、手術の不安の話をしていた。

 

何回聞いても、不安なだけやで。

 

 

 

 

4日目、2月16日(月曜日)

 

 

 

朝から先生がやってくる。

 

「後で胃カメラします。外来があるから、11時頃にまた呼びます」といって、去っていった。

 

手術前日のため、胃カメラでガンの位置をチェックするという。

 

11時からなので、朝食はなし。

 

お~。お腹がすく…。

 

アップルパイ食べたい…。

 

お隣のおばさんも、今日は胃カメラだと言っていた。

 

病院の朝って始動が異常に早いから、6時に起こされて、それから何すんの??

 

11時まで長いで~って思っていたら、

 

10時くらいに急に呼ばれた!!

 

あれ??朝、先生11時って言うてましたけど?って聞くと、でも呼ばれたらしい。

 

 

 

お隣のおばさんと一緒に外来へ降りる。

 

じゃあやっぱり、私はどうも間違って呼ばれたみたいだった。

 

胃カメラのところにいてはる先生にしてもらう人だけ呼ぶつもりが、間違って私も呼んだみたい。

 

何か、あたふたしてはったので、一旦帰ろうかなぁと言おうと思っていたら、

 

先生が慌ただしく来た。

 

そしたら、看護師さんも慌ただしく、私に注射を打ちますと言った。

 

え~~!!胃カメラも注射かよ~!!

 

まじで~、いや~やめて~(TOT)

 

私の抵抗むなしく、時間がないから、さっさと打たれた…。

 

痛いよ、痛いよ~というてる間に、のどの麻酔とまずい薬を飲まされ、はいはいと連れていかれた。

 

先生に「ゲコゲコなるけど、痛くないように思いっきり入れてください。」と一応言っておく。

 

そして、いざ始まってみると、これがまたゲコゲコしたのは一回だけで、

 

目を開けてモニターを見る余裕もあった!!

 

先生うまいんちゃうの~。

 

ほかにも何人か先生がいてはって、何やらぶつぶつ言いながらやっていた。

 

胃は水やら、液やらいっぱいかけられている。

 

そして、シュルシュル・ガチャンと2回ほど、私の胃に何かやった!!

 

何したんや、先生!!音が怖い!!

 

ん~、何分くらいやっただろうか、今日は長かった…。

 

終わったら「疲れた?」って聞かれたので、「疲れたけど、初めにやったカメラよりマシ。」と答えた。

 

そしたらまた先生は、慌ただしく去っていった。

 

忙しいのね~。

 

私は看護師さんに「気を付けて帰ってね」と言われて、よろよろと病室に帰った。

 

 

 

胃カメラさえ終わればこっちのもので、昨日から楽しみにしていたアップルパイ~!!

 

「アップルパイさん、こんにちは♪」と開けてみると、

 

なんと、アップルパイはしわしわになってるやん。

 

あああ~、一日置いたらこんなことになってしまって…(TOT)

 

ここで教訓、「おやつはその日のうちに食べるべし…」

 

 

 

ぼやっと本を読んでいたら、

 

お昼に、外来で診ていただいていた先生が、どやどやっとたくさんの先生とともにやってきた。

 

若い先生たちが、めちゃめちゃ私の顔をのぞきこんでいて、

 

一人の先生が、私のカルテらしきものとレントゲンを見せながら、何か説明していたが、

 

先生は「いやいや、もうちゃんとやってくれてるから説明はいいよ」と言った。

 

そして私に「明日がんばりましょうね」と笑顔で言ってくださり、

 

「はい!!」と私も答えた。

 

このときは、何だったの?あの人だかりは??と、思っていたけど、

 

数日後、あれが「教授回診」ってやつなんだ~!!と、わかった。

 

テレビで見る「財前教授の回診で~す」ってやつやん!!きゃ~!!と、おもしろかった(^_^)

 

 

 

この教授回診で、はずかしい話があって、

 

外科でも、同じお部屋の中で「第一外科」の人「第二外科」の人と分かれているみたいで、

 

そんなことは知らない私は、違う教授の回診のときにも、

 

「おっ、先生だ!」とおりこうさんにベッドで待っていた。

 

次々とベッドに回ってきはるんだけど、さぁ私の番だと愛想良くにこにこ待っていたら、素通りされた。

 

え??私は無視~??って思って、ちぇってかんじだった。

 

けど大間違いで、後で聞くと、同じ部屋で私一人だけが、第二外科だった!!

 

だから私は素通りだったんだ~。

 

にこにこして待ってて、何だったのかしら?(笑)

 

みんな大笑いで、とってもはずかしかった(^_^;)

 

 

 

明日はいよいよ手術なので、夜に親が説明を聞きにやって来た。

 

先生が来てくれはるんだけど、何か手に注射持ってる!!

 

あれは何よ??

 

そうです、抗生剤のパッチテストってやつです。

 

私は、あかん抗生剤がわかってるから、そんなんせんでいいと思っていた。

 

っていうか、パッチテストって、むちゃむちゃ痛いねん。

 

皮と身の間に液を入れるから、本気で大声あげるほど痛いんです…。

 

前に一回したときは、大人なのに泣いたくらい痛いんです…。

 

「どうしてもせなあかんの?あかんの?」って抵抗してみるけど、

 

「うん」って言われて、ぶちゅっと打たれた。

 

それが、あ~、あ??痛くない、痛くないわ、よかったよかった~!!!

 

先生、注射うまいです。

 

 

 

そして親への説明は、一日目に私にしてくれはったのと同じだったので、私は同席してるだけだった。

 

二人は、ふんふんと普通に聞いてくれているみたいだった。

 

最後にお母さんが、「うちの子、首にも傷があるし、お腹の傷キレイにしてくれませんか」と言った。

 

お母さんは気にしてくれいた…。

 

手術するといったときに、

 

「あんた、傷だらけになってしまうやんか。切らんとなんとか治る方法はないの?」と言った。

 

私は「もういろいろあきらめたしいいよ」と答えていたけど、お母さんは悲しそうだった。

 

そしたら、お母さんはまた言う。

 

「ニキビも胃採ったら治りますか?」

 

私は極度のストレスのためか何か知らないけど、25歳くらいから大人のニキビってやつでかれこれ悩んでいて

 

いろんな皮膚科や、内科、漢方なんかをやってみたけど、いっこうによくならなくてこれもあきらめていた。

 

ストレス→胃が悪くなる→ニキビができる、だと思っていたんでしょうね、うちのお母さん。

 

先生は、傷のことも、ニキビのこともお母さんに説明してはった。

 

そして、私は発見した!!

 

先生が言うてはった「胃がん治療・ガイドラインの解説」を、先生が持っているではないか。

 

「買いに行ったけどなかってん」と言うと、

 

「店員さんに聞いた?」って言うから、

 

「そんなタイトルの本欲しいって、ガン患者が自分で言えません!!」って言って、

 

欲しそうにしてたらくれた!!ありがと~、うっしっし(^_^)v

 

「今日は読まんほうがいいで」って言われたので、読みたかったけどやめておこう。

 

 

 

帰りにお父さんが「おまえはやっぱりガンやってんな~」と言った。

 

お母さんは「若いのに、いい先生でよかったね」と言って、

 

「明日また来るから、がんばりなさい」と行って帰っていった。

 

 

 

みんな去ってしまうと、急に手術が怖くなってしまった…。

 

一日前に話を聞くのは、酷やったんかもしれへんなあ…。

 

次起きたら、手術して、お腹切って、痛いのと何日か戦わなあかんのか…。

 

と、病院に来て初めて弱気になってしまった。

 

あんまりいろんなことを考えると怖くてどうしようもないので、薬を飲んで泣きながら寝た。

 

 

 

8. 手術

 

 

2月17日(火曜日)

 

 

 

手術日当日。

 

朝6時に起こされ、熱をはかったり、トイレにいかされたり、パジャマから病衣に着替えたりと、

 

9時手術のため、大忙しだった。

 

おかげで怖いのとか、不安とか考えてる暇なくって、やることがいっぱいあってよかったような気がする。

 

そうしてるうちに親がやってきた。

 

「ダサい寝まき着てるやん、着替えたん?」と言った。

 

もう、ダサいって言うな~、これ着なあかんね~ん。

 

手術の前に、みんなにメールを打っておこう。

 

これも記念だ。

 

…と隠れてしていたら、8時50分くらいに看護師さんが、「そろそろ行きましょう」と車椅子を持ってきた。

 

私はてっきりストレッチャーで行くものだと思っていたので、残念~ってかんじ。

 

ま、元気やから車椅子でもいいや。

 

 

 

手術室までの道のりはちっとも覚えていない…っていうか、

 

メガネをしていなかったから全く見えていないってのが正解かも!?

 

私はド近眼で、コンタクトがなかったら生活できないくらいなのです。

 

手術室の前くらいで、看護師さんが「先生が待ってくれてはるよ」って言ってくれたけども、

 

ド近眼の私には、何が先生でどこにいるやら、壁やら区別がつかない状態だったんですね(笑)

 

なので、「先生がどこにいてるか見えてませ~ん」と、見えない先生に手を振った覚えがあるだけで、

 

先生がどこにいたのかも、立ってたのかも、ほんまにおったのかも知らない…。

 

待っててくれていたのなら、ごめんなさい…m(_ _)m

 

たいがい失礼な患者です…。

 

受付?の人が「名前を言ってください」と言うので、名前を言ったら、腕に名前の札を付けられた。

 

そしたら今度はシャンプーハットみたいなんをかぶって、ストレッチャーに自分で移った。

 

自分で乗るんやな~と、1.2.3じゃないんやなと思っていたら、

 

前のドアがジャーンと開いて、ゴロゴロと中に入った。

 

 

 

「白い巨塔や~」と思った!!

 

よくテレビで見る、オペ室ってやつやで~とある意味興奮!!

 

わ~、ライトもあるやん!!

 

しかし寒いな、この部屋は…、と次々に興奮していた。

 

そしたら、手術台に1.2.3.~て乗せてくれはった!!念願の1.2.3やん!!

 

顔の上から、看護婦の○○です、麻酔科の○○ですってたくさんの人が話しかけてきた。

 

私は、けっこう余裕だったので、みんなに「よろしくお願いしま~す」とか言っていた!!

 

そうしてるうちに「背中から管を入れますので、麻酔を打ちますね」と言われ、ゲッっと思った(;_;)

 

意識のあるうちから管入れるの??

 

背中を丸めないといけないので、丸まって、痛いよ痛いよと小声でいいながら、麻酔を打たれる。

 

背骨んとこやから、何か異常に痛い。管が入るのも感覚でわかるし…。

 

それが終わると、「点滴の針を入れますね」と言われ、またまたゲッ(;_;)

 

うわ~痛いやん。はよ、全麻(全身麻酔)して~な…。

 

どこに入れるのかと思えば、手の甲に打つらしい…。

 

これは、痛い~って悲しくなってきた…。

 

見てみたら、あの恐るべしCTのときの長い長い針じゃ~ありませんか!!

 

「これ痛いですよね…」って聞いたら、「たぶん痛いです」って麻酔科の先生が言った…。

 

痛いって言われた~~。

 

実際もほんまに、たぶんどころじゃなく痛かった!!

 

「それでは、大きく息を吸ってくださいね」と言われて、2回ほど息を吸った後、記憶がなくなった…。

 

 

 

それから5時間半後、私は部屋に戻ることになる。

 

覚えているところは、何か廊下を移動してたなぁっていうのだけで、

 

うちのお母さん曰く、「終わったよ~」って廊下で言ったら、私はピースをしたらしい!!

 

ぜんぜん知らぬ…(^_^;)

 

でもさすが私、記憶がなくてもピースはしている。(^_^)v

 

記憶のあるところから、これからの悪夢をお話しましょう…(笑)

 

 

 

はっと気がつくと、酸素マスクが付いてる、鼻から管が入ってる、

 

点滴付いてる、バルーン付いてる、背中にブロックの麻酔が付いてる、

 

体が重~い…。おまけに右の指先がしびれてる??

 

「終わったで」とお母さんが横にいた。

 

と、確認すると同時に、もんのすごい吐き気がやってきた!!

 

頭が体より下に沈んでるやんか~って自分では思ったので(実際には、そうでもなかったみたい)、

 

「枕ちょうだい、枕、枕~」と必死に訴えていた。

 

看護師さんに、お母さんが枕を頼んでくれたが、全身麻酔のため、枕はダメだといわれて、またまた必死に訴える。

 

「だって、吐きそうやのに…。枕がないと吐く~!!頭が下で、気持ち悪い~!!」と言うと

 

看護師さんがタオルで頭を少し上げてくれたけど、

 

ぜんぜん頭が上がった気がしないので、ついにゲコゲコし出したら、

 

「吐き気止めの薬入れます」って言って、やっとしてくれた。

 

吐き気がおさまると、しゃべれるようになったので、

 

「この鼻の管が痛いねん。やけど、切ったところぜんぜん痛くないねん…」と、しゃべっていた。

 

でも、あまりの鼻の管の気持ち悪さに、しゃべるのやめてちょっと寝ることにしよう。

 

 

 

その日は看護師さんもよく見に来てくれていたので、何回目かのときに、首のところに赤い点々ができているという。

 

「かゆいですか?」と聞かれたけど、別にかゆくもなんともない。」

 

とりあえず様子を見ることになった。

 

そしたら先生が、赤いのを見に来た。

 

「麻酔とか点滴とかいっぱいしてるからやろなぁ」と言っていた。

 

私は自分では見えないし、何ともないので「ふ~ん。それより鼻の管が痛いねん」と答えておいた。

 

じゃあ、やっぱり後でかゆくなってきたので、かゆみ止めをしてくれた。

 

 

 

夕方になって、親が帰ったあとくらいから、

 

麻酔も切れたのか、傷口がめっちゃくちゃ痛くなってきだしたのと、

 

酸素マスクで苦しいのと、鼻の管が痛いのと、もう最悪状態になってきた…。

 

とりあえず、痛みをこらえて体制を変えてみるけど、何の効果もなかった(TOT)

 

何回か先生がきてくれはるけど、「管が痛い~」と言っては、「明日までがまんして」と悲しい答えだった…。

 

お父さんが「今日は寝る前に、安定剤と痛み止めしてもらって寝なさい」って言ってたけど、

 

こんな管が入ってて寝れるのかしら?

 

だって、唾を飲むたんびに痛いんやもん、何じゃこれは…。

 

起きていたら痛くて、ストレス度・大なので、寝ることにしよう…。

 

 

 

寝てみるけど、一日は異常に長い…。

 

私は、手術の大きさの優先順位?か何かわからないけど、

 

術後も個室に移らず大部屋にいたため、周りは皆さん普通の入院生活をしている。

 

あたりまえの話で、ご飯になったらご飯を食べてはったし、面会の人も来ていた。

 

その中で、私は痛いのを、静かに耐えていた。

 

 

 

夜になって先生が「管抜いてあげる」と来てくれた!!

 

あまりにも訴えていたから、気にしていてくれたのかしら。

 

うそ~!ほんまに~ぃ!!やった~!!

 

抜くときは、何ともいえん感覚で、管を抜いてもらった。

 

先生が神様に見えるわ~。

 

これは、ちょっとやそっとじゃ味わえない開放感!!

 

あのときの私は、しんどくてぶさいくやけど、きっと極上の笑顔に違いない。

 

しかし、明日の朝までこれを付けなあかんかったってことは、みんなこれ付けたまま寝てるの??

 

ありえへん…(>_<)

 

 

 

寝ようと思うが、あまりの傷の痛さに寝られへん…。

 

想像を超える痛み!!

 

息も「はぁはぁ」するし、傷が「ドッキンドッキン」してる。お腹「ふにゃふにゃ」やしね…。

 

そういえば、お父さんが「今日は痛み止めと、安定剤をしてもらいなさい」って言ってたっけ。

 

看護師さんへ、お願いしてみよう。

 

そしたら、痛み止めの座薬と安定剤を持ってきてくれた。

 

が!!安定剤ってのは注射で、筋注(筋肉注射)ときた!!ひえ~~!!

 

ゲッっと思ったけど、もう用意してきてくれてはるので、断ることもできないし、仕方なしに打ってもらった…。

 

痛い、痛い、痛い…。注射も傷も痛い…(;_;)

 

 

 

長い長い、一日が終わった。

 

今日、私はがんばった!!

 

28年間で一番がんばったんちゃう??

 

ほめてあげたい…。

 

 

 

9. 入院生活 

 

 

2月18日(水曜日)、術後1日目

 

 

 

夜に痛み止めをしてもらっているのと、寝てたせいか、起きたら傷はそんなに痛くなかった。

 

朝から看護師さんが、熱と血圧などを測りにやってくる。

 

そしたら何と、バルーンをはずすっていうじゃないですか!!

 

「いやいや、痛くて起きれへんのに、どうやってトイレに行ったらいいんですか??」って聞いたら、

 

「今日から歩いてもいいんですよ」と言う。

 

え~、無理無理~、この体制から動かれへんって。

 

「とりあえずはずすので、どうしても起きれないようだったら、これに尿をとってくだいね」と、瓶を渡された。

 

それも無理~、だって一応レディーですもの、お部屋でトイレはできないわ…。

 

と、いうわけで、起きる練習が始まった。

 

これが痛いのなんのって、思い出すだけで傷がピクピク痛む…(^_^;)

 

ベッドの横の手すりに思いっきり体を寄せて、手の力だけで上半身を起こすんだけど、

 

座った状態までもっていって、まず、傷が激痛なのと、呼吸する肺が痛い!!(>_<)

 

体重が傷に乗っかかって痛いので、座ったままで痛みに耐えて、

 

呼吸も「はぁはぁ」するので、数分その状態で耐えなくてはいけない。

 

やっと落ち着いたら、今度は立つ。

 

またまた手すりが大活躍で、手すりに思いっきり体重のせて「えい!!」っと立つ。

 

が!!これが最高最悪に痛い!!

 

今度は体重と重力もあるし、人間立ってるだけでもお腹の腹筋をスゴイ使ってるんですね、傷痛すぎる…。

 

もちろん呼吸もさっき以上におかしくなり肺が痛いので、

 

うつむいたままで、「ううう~」といいながら痛みに耐える。

 

またここで私だけ最悪条件が重なった。

 

「腹帯」が、ずれおちる…。

 

「腹帯」。これがあるのとないのと、傷の痛みは大違い!!(みんな言っていた)

 

買うときにあんまり気にしなかったので、売店の人に言われるお勧めの「マジックテープ」のものを買ったけど、

 

私は腹帯サイズよりも痩せていた…。

 

普通に、マジックテープがあるところ以上に帯が回ってしまうので、マジックテープの意味ないじゃ~ん…。

 

これでもうわかるように、腹帯をしていても立つと腰まで落ちてしまうので、お腹の固定がない!!

 

あまりの痛さにまっすぐ立てないので、腰の痛いおばあさんのように前かがみにならないと立てない。

 

点滴のガラガラ棒がここで役に立つ!!

 

杖がわりに、しがみついて歩く。

 

これまた、歩いたら振動で痛い。

 

すべてにおいて、痛い痛い痛~い!!

 

トイレに行くのに何分かかったやろ…?

 

でも点滴をしているので、最悪なことにトイレに行く回数が普通より多くなる。(;_;)

 

 

 

そして、ここでトイレについて雑談。

 

入院したときに、「何で、ここのトイレの便座は高いの?」と疑問に思っていた。

 

家にある位置より、はるかに便座が高いんです。

 

手術してはじめてわかったよ。傷が痛くて座るのが大変やからや!!

 

位置が高いと、すぐに座れるものね。

 

「ありがとう病院」と関心した。ステキやわ~(^_^)

 

病院は患者に優しくできている。

 

 

 

話は戻って、今日は採血とレントゲンがあるらしい。

 

採血は注射なのでキライやけど、知らない先生だったし、傷のほうが痛いのですんなり終わった。(めずらしい~)

 

さっきのトイレ事件で傷が痛いので、またまた座薬をしてもらう。

 

そんなことをしてるうちに、レントゲン部隊がやってきた!!

 

機械がお部屋へやってきた。

 

ここで寝たまま撮れるんやなぁ、と思っていたのもつかのま、

 

「じゃあ撮りますね」と、1.2.3で私の下にあの固い固いレントゲンフィルムを置いた。

 

ぎゃ~~、痛い痛い、傷が痛い…(ToT)

 

「い、痛いです…」と言ってみたが、

 

「もう一枚撮らせてね。今度のはさっきより分厚いし痛いかも」と言われ、ビビる。

 

1.2.3と、また下にフィルムを入れるが、これは痛い!!

 

うぎゃ~、「めっちゃ痛いです」

 

「おつかれさま」とレントゲン部隊は帰っていったけど、

 

もうもう、痛いやんか~…!!

 

 

 

次に看護師さんがやってきたときに、お願いしてみた。

 

ベッドを起こしておいてもらおうと思って。

 

寝てる状態からトイレに立つのは、ほんきのほんきで痛いから、ちょっとでも痛くないようにと考えた末に、

 

ずっと座っていたら、第一段階の「座るまでの痛み」は、なくせるぞ!!と。

 

人間痛いときは頭が回るものですね~(^_^)v

 

これが大正解で、ちょっとはマシになった。

 

でも、ずーっと座っていてはしんどくても熟睡できず、これはあんまり良くなかったかな。

 

で、みんなに後から聞くと「ベッド自動で起きるから、そんなん自分でブーンってやってたよ」と。

 

え??私のベッド古いの??私は、どこまでもツイてない子であった…。

 

 

 

そうしてるうちに、まきちゃんと整体師友達がきてくれた。

 

二人とも私を見るなり「しんどそうや…。」と言って、暗くなった。

 

というのも、見た目、私もスゴイことになっていたみたい…。

 

頭はボサボサ、顔はボロボロ、メガネずれてるし、何かに例えると、「汚いアラレちゃん」といったかんじかしら。

 

しかもベッド起こして座っていてぐったりしているときたら、普通の人はびっくりするやろうなぁ。

 

「痛いからね~、激痛やで。」と、おもしろく昨日の手術の話とかをしてみたけど、二人は元気がなかった。

 

「しんどそうやから帰るね」と、その日はすぐに帰ってしまった。

 

後から、「見てはいけない麻衣ちゃんを見てしまったような気がした。ショックだった…。」と聞いた。

 

どんなにボロボロだったんだろう…(T_T)

 

 

 

その後に、びっくりゲストがやってきた!!

 

うちの院長のお知り合いの先生が、わざわざ様子を見に来てくれた。

 

「あら、思っていたよりチャーミングな人なんやなぁ!!」と、

 

汚いアラレちゃんに言ってくださった。(え?お世辞かなぁ)

 

「痛くって、まいってます…。」と言うと、

 

「皮膚も張ってるし、若い子は痛いと思うよ。」

 

「いつまで痛いんですか?」

 

「一週間ぐらいかなぁ。」

 

まじで!?一週間も痛いの??まだまだこの痛みはつづくのか…。とほほ…。(_ _;)

 

よっぽどショックな顔をしていたのでしょう、

 

先生は「大丈夫や、井上先生いい先生やろ~。まかせといたらいいねん。」と励ましてくださった。

 

「はい、いい先生です」と答えると、

 

先生は「がんばって」と帰っていった。

 

 

 

そしてその日は、ずっとベッドに座ったまま過ごす。

 

ふと気がついた「はて、このベッドは誰が倒してくれるのだろう…?」

 

きっと看護師さんが、気がついてくれるさ、と勝手に思っていた。

 

が、甘かった。期待ははずれて誰も来てくれない…。

 

あ~、どうしよう…(>_<)

 

でも、もうこの体制もさすがに痛くなってきたよ…。

 

待てども待てども、看護師さんの気配はないので、仕方ないからナースコールで「ベッド直してくださ~い」と言った。

 

 

 

はぁ、今日も痛かった…。

 

 

 

 

2月19日(木曜日)、術後2日目

 

 

 

私の記憶では、2日目は、ただただ傷が痛いだけだったと思う。

 

トイレに行くのも、今日も大変…。

 

相変わらず、座薬とお友達の一日だった。

 

今日からは、病衣はやめて自分のパジャマにした!!

 

どうにも点滴がじゃまで着替えられないから、看護師さんに手伝ってもらって着替えた。

 

これだけでも「汚いアラレちゃん」から脱出よ(^_^)v

 

 

 

そうだ、回診の先生が回診にきはったときに、私の傷口を見て、

 

「いや~、ちっちゃい傷やなぁ、キレイに縫ってあるやんか。」と、言っていた。

 

怖くて自分で見てなかったし、他の人の傷がどんなものかわからなかったから、

 

さっぱりピンとこなかったんだけど、

 

一緒に来ていた看護師さんが後から言った。

 

「ほんまに他の人と比べたら小さいしキレイよ。私やったら、ぜったいこの細い糸で縫ってもらう。」と。

 

そうなんや!!そう言ってもらえるとうれしいなぁ。

 

なので、トイレに行ったときに、思い切って傷を見てやろう!!

 

これがまたびっくりなのが、傷口って透明のシールが張ってあるだけなのね~。

 

ずっと張りっぱなしやから、消毒とかせんでいいの??と思うけど、そんなんせんでいいのかしら??

 

こんなにべチャと張ってあったら、はがすとき痛いやろな~と、くだらないことを思いながら見てみた。

 

んん??きゃ~、キモい~!!!

 

とにかく一言で言うと「べちゃべちゃの肉?」ってかんじ(>_<)

 

あまりのキモさに、ショックを受ける。

 

これでキレイなんやったら、他の人のはどんなんなの??

 

何日かしたら、普通の肉に戻るんかなぁ…。

 

そうだ、この傷が私に激痛をもたらしてるのね!!

 

あほ~!!

 

 

 

で、このことは書かないでおこうかと思っていたけど、けっこう私にとっては「怒」の出来事で、

 

忘れられないことでもあるので、書かせてもらいます。

 

この日、夜中にあまりに傷が痛いので、ナースコールで看護師さんに来てもらった。

 

「痛いので、痛み止めお願いします」と言ったら、

 

「痛み止めですか~、座薬になりますけど~持ってきますね」と、ちょっとめんどくさそうに言われた。

 

ま、夜は人が少ないしそんな対応でも仕方ないか…と思っていたのですが、

 

10分待っても、20分待っても、30分待っても、来てくれない。

 

傷の痛みはかなりピークにきていて、冷や汗は出るし、呼吸は荒くなるし、あまりの痛さに涙も出てきた…。

 

早く来てよ~と、待っていたら、隣から声がしてきて

 

さっきの看護師さんが、ほかの患者さんを優先していた。

 

うそやろ??私何分待ってるんよ!!ひょっとして忘れてる?と、思ったけど、

 

あまりに痛いので耐えるのに必死だった。

 

とりあえず早くきて…。

 

その何分か後に痛み止めを持ってきたが、「遅くなって…」みたいな言葉はなく、さっさと処置されたので

 

私もいつもなら、「ありがとうございます」と言うのに言わなかった。

 

すぐに痛みはとれないので、泣きながら「ひどいよ~」と思った。(ToT)

 

遅くなるんだったら、他の看護師さんに頼んでくれたらいいのに…。

 

それか、一言「もう少し待って」とか言いにきてくれたらいいのに…。

 

痛みがおさまるまで、眠れなかった…。

 

 

 

何日か後に、こんなことがあったと、これから親友になる、同室のお姉さん?に話をしたら

 

「あの人は評判が悪いみたいよ。みんな言ってる。」と言っていた。

 

その後痛かったときに、夜にまたその人に当たったことがあったときも、かなり待たされて、痛い思いをした。

 

なんだ??何で私は後回しにするん??

 

 

 

誤解があってはダメなので言っておきますが、他の看護師さんはいい人ばっかりでした。

 

 

 

 

10. お友達

 

 

2月20日(金曜日)、術後3日目

 

 

 

まだまだ痛みは取れず、座薬とお友達…。

 

今日は、採血とレントゲンがある。

 

採血は朝早くにあるので、ほとんど寝ている状態で針をさされるが、やっぱり痛い(;_;)

 

知らない先生なので、ひたすらがまんする。

 

 

 

今日のレントゲンは、下の外来に行くという。

 

同じ日に手術をした人たちで行くんだけど、「若いから自分で歩けるよね」と言われて、点滴の棒に寄りかかって歩いていく。

 

実は、あまりの痛さに今までトイレ以外は歩いていなかったので、これが一番の遠出だった(笑)

 

私と、同じ部屋の隣のおばさんと、斜め前のお姉さんと、隣の部屋のおばさんと4人で一緒に行ってるときに、

 

ヘルパーさんが、お姉さんの診察券を見て「50年生まれなん!!若いなぁ!!」と、言った。

 

私もびっくりした!!

 

てっきり自分より年上だと思っていたので(ごめん…)、かなり人見知りをしていた。

 

だってだって、結婚してるし子供もいたんだも~ん(←言い訳)。

 

そして「私も50年やから、同い年やねん」と、話して意気投合した。

 

彼女の名前は、かよちゃん。

 

この先の私の入院生活、かよちゃんのおかげでかなり楽しくなった!!

 

 

 

かよちゃんは、私と同じ医療事務をしていて、こっちでも話があう。

 

もちろん、私と同じ病気ではないので、手術はしたけど症状はまったく違う。

 

彼女には術後「ドレーン」といって、お腹から2ヶ所排膿するためのチューブが出ていた。

 

傷よりも、「これが痛いね~ん」といっていた…。

 

そしてかわいそうに、お腹の中でチューブが曲がってしまったようで、

 

膿がたまり、熱が出たりして点滴やら血液検査を毎日していた。

 

私ならば確実に、痛い痛いとぎゃーぎゃー言って騒ぎ立てるところでしょう(笑)

 

でもかよちゃんは、「慣れたわ~」と言って普通に針を毎日刺されていたの…。

 

あなた大人じゃ~ん。

 

 

 

 

2月21日(土曜日)、術後4日目

 

 

 

最初にくらべたら慣れたけど、まだ痛み取れず。もう痛い痛い(>_<)

 

まだ座薬とお友達…。

 

 

 

かよちゃんや、同じ日に手術をした人は、もうご飯を食べれるようになっていて、

 

「早く退院したいから、全部食べる」といって、無理に全部たべていた(笑)

 

私はお水だけOKになったので、「よーし、いってみよう!!」と、恐る恐る飲んでみた!!

 

一口飲むと、

 

んんん~??何だ、何か胃がきゅ~ってなる!!

 

そしたら、胃がどっきんどっきんし出して、たいへんなことになってきた!!

 

「きゃ~、胃から水が漏れたぁぁぁ!!」と思った私は、すぐに飲むのをやめて寝っ転んだ。

 

今のは何・何??

 

 

 

先生が来たら、真っ先に言った。

 

「せ~んせい、私の胃破れてない??水漏れそう。」

 

先生は半笑いで「破れてるわけないやん、ちゃんと縫ってるわ。」と、言った。

 

そうですか~(笑)、でも、どっきんしたも~ん。

 

 

 

食事が終わると、お部屋では、みんな「髪の毛を洗う」話になった。

 

「髪の毛、洗うところがあるから、自分でそこで洗ったらいいねん」と言っていた。

 

かよちゃんも「私も自分で洗おう、ショート(カット)やし。」と言っていた。

 

私は無理かも…と言った。

 

私は髪が長い。

 

そして傷が痛いので、長時間頭を下に向けているのは無理だよ…。

 

はぁ、またまた問題発生やわ。

 

しばらくがまんしよう。

 

 

 

と、数時間後、看護師さんが「髪の毛洗いましょうか!!」と、言って来てくれた。

 

まじで~!!うれしいけど「傷が痛くて下向けないし、自分で洗えません」って言ったら、

 

「痛み止めしてから、洗ってあげますよ~」と、言ってくれた!!

 

何て気配りのある人なんでしょ!!感謝感激した。

 

「半分あきらめてたんです、ありがとうございます~。」と言ったら、

 

「洗うのなんて、いつでも言ってください。」と、この長い髪にドライヤーまでしてくれた。

 

私もこういう人になろう!!

 

その後も何回か他の看護師さんに洗っていただいたけど、みんな気持ちよく引き受けてくださって、

 

ほんとにありがとうございました。

 

 

 

 

2月22日(日曜日)、術後5日目

 

 

 

今日もまだ痛い…。一体いつまで痛いのじゃ…。

 

座薬とお友達は続く…。

 

 

 

今日から流動食らしい。

 

昨日お水であんなことになったから、ちょっとビビる(^_^;)。

 

 

 

私の食事は、術後からは1日6回あるという。

 

8時・10時・12時・15時・18時・20時。

 

胃がなくなると、今まで胃がしていた消化などの働きができなくなり、

 

すぐに腸までいくため、一気に食べるとダメなんだって。

 

早く食べたり、量が多いと、冷や汗が出たり、胃がもたれたり、お腹が痛くなったりするらしい。

 

ちょっとの量をよく噛んで、長い時間をかけて食べるように言われた。

 

 

 

はじめての食事は、お水のようなおかゆと、里芋のつぶしたものと、あと一品あったと思う。

 

食べてみる。

 

…、あら、おいしい…(^_^)v

 

ごはんってこんなにおいしかったっけなぁ!!

 

でも、やっぱりぜんぜん食べられなくなっていた。

 

ほんのちょっとで「もういいや」ってなっちゃうので、自分でもびっくりした。

 

ご飯とご飯の間は「おやつ」が出てくるねん!!

 

これは、お部屋のみんなから、かなりうらやましがられた(笑)

 

実際に私も大喜びで、おやつ待ちしていたくらい(^o^)

 

 

 

一日目はご飯大成功に終わる。

 

 

 

実は、数日前から点滴を刺しているところが痛い(>_<)

 

血管が腫れているみたいで、少しでも物に触れると激痛が走る。

 

それとなく看護師さんには「痛いんです…」と、話をしていたんだけど、

 

どうしても痛かったら、点滴の差し替えをしないといけないといわれていたので、

 

それは勘弁~!!なので、がまんすることにしていた。

 

 

 

が、この日の夜、あまりに痛くて泣きそうになったので、一大決心をして差し替えをしてもらうことにした…。

 

あああ~、またこの長い針を刺すんですか~ぁ…。

 

「じゃあ、先生に言ってくるからちょっと待っててくださいね」と、言われ、

 

「先生??」と思ったけど、待ってることにしよう。

 

呼ばれて処置室へ行く。

 

その間も、痛いよ~イヤだよ~と言っていた(笑)

 

処置室へ行くと、なぜか先生が夜なのにいてびっくりした。

 

看護師さんがするんじゃなくて、先生がするんや。

 

「どこが痛いん?」と言うので、

 

「見て!手が腫れてる。」と、見てもらうと、

 

「ぶどう糖が点滴の中に入ってるから、血管が薄くなってるんやわ」と、さっそく針を刺そうとする。

 

「わ~、ちょっとまって!!気持ちの整理がいる。痛くしたら起こるで~」と、

 

冷汗をかきながら訴えたが、プスっと刺された。

 

あら~、今日も痛くない!!

 

「痛くないー!!先生うまいー!!!」と言って大喜びした(^_^)v

 

こんなに手が痛くなるまでがまんしたことを損した、と思うほど痛くなかった。

 

痛くなかったので、わいわいしていたら、先生が、

 

「ご飯は食べれる?」と聞くので、

 

「おやつはおいしい!!」と答えた。

 

「あ~、おやつなぁ(笑)。ご飯も食べてや」と言われた。

 

「胃からごはん漏れたらどうなるの??」と聞くと、

 

「漏れへん」と言われた。

 

そして、あまりにも手が腫れているので、看護師さんが冷たいガーゼをしてくれた。

 

痛さがなくなったので、よく眠れた。

 

先生、注射うますぎっ~!!ステキです!!

 

 

 

 

2月23日(月曜日)、術後6日目

 

 

 

まだ痛いが、だいぶ歩けるようになっていたし、寝起きのコツもつかんできた。

 

痛み止めなしでがんばってみる。

 

 

 

朝からごはんも少しずつだけど、食べれるようになった。

 

えらい回復するもんやなぁと、自分でも思っていた。

 

 

 

お昼くらいやったと思う、先生がやってきて、

 

「後で抜糸するから」と言った。

 

え??抜糸~??予定では明日やんか。

 

抜糸は痛いはず…。かなり恐れていたことなので、

 

「イヤや~。」と言ったが、笑いながら先生は去っていった。

 

後でと言ったくせに、3分くらいでうれしそうにハサミを持って戻ってきた。

 

とりあえず怖いので、眉間に皺がよる(笑)

 

ずーっと傷に透明のテープが張りっぱなしやったから、これをまずはがすのから痛いだろうと思った…。

 

案の定、めっちゃんこ痛かった!!

 

うぶ毛が抜けるぅ(>_<)

 

「痛くしたら、また怒るからね。」と、言っておく。

 

糸を切ってる音がまた怖い、痛くないんやけどね…。

 

怖いので、私はひらすらしゃべる(笑)

 

「先生、もくもくと糸切らんと、なんかしゃべりながらしようや。昨日なんのテレビ見た?」

 

「仕事してたから見てない」

 

会話終~了!!

 

何だよ、何だよ~(>_<)

 

1ヶ所痛いところがあった。

 

「今痛かった~、何した~?」

 

「ちょっと肉はさんだ」

 

肉はさんだ~??痛い痛い(ToT)

 

抜糸無事終了。

 

でも、「かさぶた」がいっぱいでキレイなんだか汚いんだかわからへん(;_;)

 

とりあえずショックなので、ガーゼで隠しておいてもらう。

 

覚悟していたとはいえ、やっぱりお腹に約10cmの傷があるのを見るとショックを受けた。

 

自分に胃がないことは、まだ実感できないけど、傷があるってことは、胃はないんだろう。

 

いつかこの傷もちゃんと見れる日が来るんかな…。

 

 

 

抜糸をしたせいか、お腹が伸びるようになって、背中がシャンと歩きやすくなった!!

 

でも反対に腹帯とかも取ったので、お腹のふにゃふにゃ感は増したけど。

 

少し元気になった気がした!!

 

 

 

かよちゃんとしゃべる。

 

抜糸怖かったで~と(笑)

 

やっぱり、他のみんなは明日みたいだった。

 

「ホッチキスみたいなん抜いたやろ?」と言うので、

 

ホッチキス??と聞くと、どうもホッチキスのような金具で傷が止まっているらしい!!

 

何だ?それは??

 

そこで傷の話になった。

 

私は前ページに述べたような、最初に先生がそうやってしてくれるって言ったよという説明をかよちゃんにした。

 

そしたら、えらくびっくりされた。

 

「私は結婚してるし、子供もいるからいいと思ったんかなぁ」と言っていた。

 

そうなのかなぁ、28歳は28歳やで…。

 

やっぱり私は先生に感謝しなくちゃいけない…と思った。

 

 

 

 

2月24日(火曜日)、術後7日目

 

 

 

痛みはまだあるけど、だいぶがまんできるようになってきた。

 

一週間たってやっと、ぶうぶう言わなくなったかもしれない(笑)

 

 

 

みんな今日は抜糸をしていた!!

 

回診の先生がやっていた。

 

みんな、とっても静かだったので「痛くないの??」と、思っていた。

 

でも、私も回診の先生だったら、ぎゃーぎゃー言えなかったと思うので、みんなそうだったんだろうね。

 

先にやっててよかったよ~(^_^)

 

私のところにも来たけど、なぜかその先生は私を見るなり、えらくびっくりした顔をした。

 

何でそんなに驚くねんと思ったけど…??

 

抜糸はしてあったので、「消毒だけしときます」って綿球で消毒してくれはるんやけど、

 

これまた、え??それで終わり??って消毒で、一体何しにきたんだか…(笑)

 

後でかよちゃんに、静かやったけど痛くなかったん??と聞くと、やっぱり痛かったらしい。

 

がまんしてたのね、大人やわ!!

 

 

 

そして、順調にいっていたと思っていたけど、急にご飯が食べられなくなってしまった…。

 

においがダメになってしまった。

 

食べ物のにおいを嗅ぐと、吐き気がする。

 

吐き気がしたら心臓がドッキンドッキンして、ベッドに横にならないと座ってもいられなくなってしまった。

 

あんなに楽しみにしていたおやつも、においのあるものは食べられない。

 

先生に言うと、

 

「胃が荒れてるんかもしれない。にがい薬飲める?」と聞くので、

 

「え、にがいの。にがいってどのくらい?」

 

「けっこう。でもみんなスカッとするって言ってはるよ」

 

と、言うし、しんどいので飲むことにした。

 

それが、「どんだけにがいねん!!」ってくらいにがかった~!!

 

売ってる市販の胃薬なんてめじゃなく、それ以上ににがい、にがいが2倍!!

 

でも胃が気持ち悪いので、しぶしぶ飲んだけど、後で先生にモンク言ったのはいうまでもありません(笑)

 

 

 

その日の夜に、ご飯が食べられないことと、あまりの吐き気に、泣いてしまった…。

 

手術が終わっても、まだまだ越えなくてはならないハードルがたくさんあるんだ…。

 

そう思うと急にかなしくなってきた。

 

 

 

2月25日(水曜日)、術後8日目

 

 

 

相変わらず、ご飯は食べられない…。

 

においを嗅ぐと、どうしても吐き気でベッドにたおれこんでしまう。

 

どうしたらいいの??

 

「好きなものだけ食べたら?」と、先生はいうので

 

「たこやき食べたい」と言ってみた。

 

たこやきは私の大好物!!

 

「あんまりよくないけど、差し入れしてもらったら」ということだったので、

 

お母さんに速攻電話をして「たこやき買ってきて~」とお願いした。

 

うちのお母さんもお母さんで、ほんとに買ってきてくれた。

 

あんまり食べられないから、2個だけ食べたけど、めちゃめちゃおいしかった(^o^)

 

 

 

その日の夕方、またまたびっくりゲストがやってきた。

 

うちの医院の院長と奥さんが来てくれた。

 

てっきり奥さんだけ来てくれはると思っていたので、びっくりだった。

 

院長は「思ったより元気そうやなぁ」と言った。

 

いやいや、やっと元気になったんやって(^_^;)

 

とりあえず、手術の話とか入院生活の話をして、私のおもしろワンマンショーだった(笑)。

 

そして、今医院はどんなかんじか聞いた。

 

退院したら、早く戻っておいで~といったかんじだった。

 

退院したら、また挨拶に行きますと見送った。

 

 

 

そして、この夜に点滴がはずされることとなった!!

 

うれしいけど、ある意味、点滴があるからご飯食べられなくてもOKだった部分もあって複雑…。

 

入院してから、手術して胃がないのにもにもかかわらず、体重が変わらなかったのは点滴のおかげよね~。

 

これからは食べなあかんなぁ。

 

看護師さんが来て、あっさり針を抜いてくれはった(^_^;)

 

一週間以上もくっついていた点滴だから、なくなったら何だか手がフワフワして変なかんじだった(笑)

 

それに、歩くときに点滴の棒を持って歩いていたから、なかったら手はどこへ持っていっていいかわからなくて

 

とってもおかしい歩きかただったに違いない!!

 

点滴がなくなると、病人には見えなくなっちゃった…!!

 

 

 

 

2月26日(木曜日)、術後8日目

 

 

 

今日は、お部屋のお引越しです。

 

今まで私がいたお部屋は、ほんとうは男性部屋だったらしく、

 

明日入院してきはるかたが男性が多いんだって、ということで、もとの男性部屋に戻すというお話。

 

みんなバラバラになっちゃうなぁ。

 

今までは、親友かよちゃんとも同じ部屋だったけど離れてしまう…、さみしい…。

 

 

 

新しいお部屋に移動したら、前の部屋よりおんぼろでびっくりした(笑)

 

周りを見ても、お年寄りのかたばかりで、「こりゃ、さみしいわ」と思った。

 

もっぱら、本とCDとお友達。

 

 

 

実は昨日くらいから、食べ物がおなかでつまっているかんじがして、上手にご飯が食べられなかった。

 

なかなか腸に落ちないので、ずーっと胃が思いかんじがしていたので、先生に言ってみたところ、

 

「じゃ、明日検査する。」と言われた…。

 

「え!!注射すんの?」

 

「注射はせーへんけど、まずい薬は飲む。」

 

「まずいの??もう大丈夫やから検査いいわ~」というのも無駄だったようで、

 

「明日、検査ね。」と検査決定らしい。

 

ああ、検査かぁ、イヤやな…(;_;)

 

いらんことを言わんかったらよかった…。

 

 

 

 

2月27日(金曜日)、術後9日目

 

 

 

同じ部屋に、おばさんが入院してきはった。

 

そのおばさんは、私を見てびっくりして「お姉ちゃんはどこが悪いの?」と聞くので、

 

「ガンで胃を採りました」と答えると、それこそもっとびっくりして

 

「お姉ちゃん大変だったね、私も2年前に胃全部採ってるのよ」と言った。

 

おばさんも胃ガンだったそうで、体の調子をくずして入院してきたと言っていて、一日何回も点滴をしていた。

 

おばさんの担当の先生は、回診のときに私を見てびっくりした先生だったので、今度は私がびっくりだった。

 

おばさんは体の調子がいいと、私に話しかけてくれたので、私もお話するようになった。

 

 

 

お昼から胃透視の検査である。

 

お昼ごはんは食べられない。

 

ま、いっか、どうせ気持ち悪いし…。

 

1時に一回呼ばれて、透視室へ行ったんだけど、他の人がまだ検査中だったのでもう一回部屋に帰る。

 

田口さんが遊びにきてくれていたので退屈はしなかったけど、結局2回目呼ばれたのは4時だった!!

 

 

 

またまた下へ降りると、今度は検査できるようで、

 

何やらどろどろの液体をコップに入れ、それを持って検査開始。

 

これはまずい、とはじめに聞いていたけど、

 

一口飲んで~と、マイクで言われるので飲んでみると、にがいのまずいのって!!

 

そして、また液が濃厚!!

 

また台が動いたり、まずいのを飲んだり忙しい検査だわ。

 

カメラ?みたいなのが、お腹に寄ってくるもんだから、傷が痛い…

 

でも前の先生と違って声が聞き取りやすいので、上手にあっち向いたりこっち向いたりできた!!

 

はい、検査終了。

 

 

 

その場で、自分のフィルムを見せてもらった。

 

「どれが胃なん??」と聞くと、「これ」と教えてくれたが、想像を越える小ささだった!!

 

自分の手でグーをしたくらいで、胃の下に直で腸がつながっていた。

 

CMでよく見る「そらまめ」みたいな形は、もうしていなかった。

 

何か、自分の胃じゃないみたいやわ。

 

「あんなに胃はちっさいけど、また大きくなるんやろ?」と聞いた。

 

先生は「大きくならへんよ」と言ったので、びっくりした!!

 

人のウワサでは、胃は切っても大きくなるんやでと聞いていたので…。

 

まぁ、大きくなっても、ならへんでもどっちでもいいか~。

 

「でさ~、私、食べへんくってもお腹が空かへんねんけど」

 

「胃の神経ないからね」と先生は答えた。

 

なぬ!?胃の神経がなかったら、お腹はすかへんの??

 

「グーって鳴らへんで」

 

「胃動いてないから、グーって鳴らへんよ」

 

「まじで!!そうなんや!!早く言っといてよ~」

 

いや~びっくりした、私の胃はグーくらいの大きさで、グーと鳴らないらしい(←ギャグですよ~)。

 

胃の出口も詰まってないらしく「順調、順調」と先生は言っていた。

 

 

 

夜にいろいろ考えた。

 

お腹がグーって鳴らないのはラッキーだなぁとか、胃は大きくならへんねやな~とか、

 

いろいろ不思議やなぁと思った。

 

外からは自分の中が一体どうなってるのか見えないし、でも生きてるし、不思議やわ~(_ _;)

 

 

 

 

2月28日(土曜日)、術後10日目

 

 

 

先生が「来週の火曜に退院するようにしとくよ」と言った。

 

ほう、退院ですか??

 

突然現実に戻った。

 

入院生活はひじょ~に極楽だったので(笑)、お家に変えったら、何を食べていいの?とか、仕事せなあかんとか

 

現実の悩みが久しぶりにやってきた。

 

そして、急に思い立ったように、入院中にしようかな?と持ってきていた「患者様応対のマナー」の勉強をし始めた(笑)

 

ついさっきまで、自分が患者だったのに、今度は患者様への勉強かぁ…。

 

 

 

そして、心配事がひとつあった。

 

手術のときの採った組織の検査結果がまだ出ていなかった。

 

手術の後、親に先生から説明があったようで、採った胃を見たという。(私はぜんぜんしらなかった…)

 

胃以外にリンパ節へ転移があったようで、リンパ節も採って、もう一回検査に出すって言ってたって。

 

それを聞いたときは、体の血の気が引いた気がした…。

 

転移って何よ~!!(ToT)というかんじだった。

 

転移って、一番聞きたくなかった~~。

 

「ちょっとだけやし、気にすることはない」って先生はいうけど、そんな問題じゃないねん。

 

ガンが増殖していたことが、ショックやねん…。

 

やっぱり一応若いから、進行は早いんやろか、とかまたいろいろ悩みだした。

 

でも、大丈夫だと先生は言ってはるので、信用することにし、あまり検査の結果については考えないようにした。

 

親が「先生から結果聞いた?」と何回も言うので、

 

「大丈夫って言ってはるから、大丈夫!!」と、怒ったことがあった。

 

でもそれは、親に怒っているようで、実は自分に対して怒っていた。

 

親以上に自分が一番心配していて、「先生の言うことが信用できひんのか!!」って自分に言った…。

 

でも、転移してたという事実がすごく怖かった…。

 

 

 

お昼になって、また急に思い立ち、病院内を撮影に回ろうと思った。

 

入院する前に、携帯電話をカメラ付きに変えたのはそのためで、

 

時々隠れて撮っては友達に写メールなんかをしていた。

 

ごめんさないm(_ _)m

 

なので、今日は土曜日、お昼からだったら外来に行っても人も少ないだろうし、

 

いろいろ探検して撮ってみよう!!

 

 

 

まず、行きたかったのが、「オペ室」こと、「中央手術室」!!

 

誰かいてはマズイので、抜き足差し足で行く(笑)

 

やった!!誰もいない!!記念撮影や~!!

 

と、ここぞとばかりにバシャバシャ撮った(^_^)v

 

でも、私が思っていた「オペ室」ってかんじではなかった。

 

あのときはもっと、人がウワーっていたからかな??

 

入り口も、もっともっと広いものだと思っていたし、廊下ももっと大きかったように感じた。

 

目が悪いというのは、ものすごい錯覚をさせるのね(笑)

 

けど、やっぱり中を覗こうが、周りを見ようが、ちっとも覚えていないのが残念…。

 

手術のときにメガネをかけてなかったのが、くやまれる~!!

 

中に入りたいなぁと思ったけど、さすがにそれはあかんやろとやめておいた。

 

 

 

次は、外科外来へ行こう!!

 

いつも、外来へ診察へ行くときは緊張する。

 

特に、「中待合」ってめっちゃ緊張する(笑)

 

各診察室の前で数名が待つわけだけど、だいたいお互い「どっちが先?」みたいな、変な雰囲気がある(笑)

 

しかも、中待合は廊下が狭いので、とにかく窮屈なかんじで、いつも私は小さくなっていた。

 

もちろん今日は、シャッターが下りていて、閉まっていたうえに真っ暗だったので、それはそれで怖い。

 

暗いけど、ここでも撮影開始!!

 

暗いので、自分撮りはかなり怖い顔になってしまって笑える(^o^)

 

 

 

後は外来の入り口とか、とりえず探検してみた。

 

これはスゴイぞ!と思ったのが、整形や婦人科のかたが入院している病棟で、

 

何がスゴイかというと、ボロさがナンバーワン!!

 

とりえず、天井が低いのが半端じゃなく低い!!

 

164cmの私でも、「頭当たるんちゃうかい?」って、当たるわけないけど、頭下げて歩いたくらい低い!!

 

男の人はどうしてるの、しんどいやろ??(でも整形だから、男の人もいっぱい入院してはるの!!)

 

何か照明も暗いし、廊下は狭いし、「何でこんなにボロいんやろ~」と笑うばかりだった(笑)

 

 

 

と、撮影を終えて帰ってきて、ごきげんで見ると、

 

どれも思いっきり素顔の私で、ぜんぶ恐ろしく怖い顔だった(ToT)

 

写真は、お化粧をしてから撮りましょう…(笑)

 

 

 

 

2月29日(日曜日)、術後11日目

 

 

 

もう、とりあえず食事に関しては、しんどくなるのは当たり前で、

 

食べたあとに吐き気で、はぁはぁと横にならないといけないことが多かった。(とくに15時のおやつの麺類の後!!)

 

そんなときは、「助けて~」と一人ベッドで泣いていた…(;_;)

 

 

 

ここで、かよちゃんとのおもしろエピソードを紹介しましょう。

 

今まであまり書いてはいなかったけど、かよちゃんとは毎日遊んでしゃべっていた。

 

もっぱら先生なんかのうわさ話が多かったかも~(笑)

 

病室を抜け出して、何時間もしゃべっていたり、部屋に遊びに行って、きゃっきゃっと騒いでいた。

 

お気に入りは、南館の3階のテレビのあるところ。

 

ジュースも売ってるし、キレイだし、しょっちゅうそこで遊んでいた。

 

 

 

かよちゃんの担当の先生はいつも部屋に入ってくるときに

 

「○○さぁ~ん、おはようございま~す!!」って、入り口ででっかい声でいうので、

 

私はめっちゃウケていた(笑)

 

しかも朝早いので、よけい笑える。

 

かよちゃん曰く、すっごいまじめやねんと言っていた。

 

病気のこととか尋ねると、100ぐらい返事が返ってくるんやけど、

 

ほかの話をすると、すぐ終わってしまうねんて(笑)

 

でも、検査結果を一日何回も言いにきたりしていたので、

 

同じ部屋の人たちで「あの先生はマメやなぁ」と言っていた。

 

 

 

と、私たち二人の中でスゴイ気になる患者さんがいて、その人の年齢が知りたくて悪巧みをしたことがある。

 

ベッドに名前と年齢は書いてあるんだけど、その人は朝も昼も夜もカーテンを閉め切ったままで

 

見させてもらえないし、トイレくらいしか姿を見たことがなかった。

 

そのうえ、いつもマスクをしていたので、何者だ~??と不思議に思うのは当たり前でしょ。

 

かよちゃん情報では「彼氏とチュウ~した」って言ってた~~!!って言っていたので、

 

「まじで~!!」と、私たちの興味をそそるのは言うまでもない(笑)

 

情報は乏しく、年齢も、何の病気かもまったく不明だった。

 

それで、体重測定の日があって、月曜の朝に自分で体重をはかって、

 

名前の書いてある紙に体重を書くようになっていた。

 

その紙は年齢のところが隠してあったけど、私はちらっとめっくて見てみた!!

 

きゃ~、ごめんなさいm(_ _)m

 

うっひょ~!!意外なことがわかったぞ~!!とかよちゃんのところへ飛んでいったら、

 

何とかよちゃんも同じことをしていて、私に報告しようとしていた(笑)

 

やること同じで、なんちゅう二人や…(笑)

 

28歳、まだまだ子供(^_^)

 

 

 

そんなことやあんなことや思い出すと楽しかったなぁという思い出ばっかり!!

 

かってに先生にあだ名をつけたり、ほんまにアホばっかりしていた(笑)

 

ここでは言えないおもしろ話はまだまだたくさんあって、紹介できないのが残念です…。

 

入院生活楽しかったのは、ほんとにかよちゃんがいたからだなと思う。

 

入院して、こんなに友達になれる人ができるなんて思ってなかったし、ほんまにいい出会いやなとつくづく思う。

 

入院もすてたもんじゃない!!

 

退院してからも、遊んだりしている大事なお友達になった。

 

かよちゃん、ずっと仲良くしてね(^o^)v

 

 

 

 

3月1日(月曜日)、術後12日目

 

 

 

今日はまきちゃんと、まきちゃんの旦那さんの悟さんが来てくれた。

 

「明日退院なんやで」と言うと、

 

「早かったなぁ、がんばったなぁ」とほめてくれた。

 

悟さんも心配してくれていたようで、ありがとう!!

 

 

 

お昼から教授回診があるから、お部屋にいるように言われた。

 

元気になってからは初めてだったので、どうしたらよいものか…??

 

数十分遅れて、回診一行はやってきた。

 

私だけじゃなく、同じお部屋に何人か診てもらう人がいてはったので、順番待ち。

 

今日は先生がいたので

 

「ちょっと、私はどうしといたらいいの?寝とく?座っとく?」と聞くと、

 

「回診はじめて?」

 

「いや~、はじめてちゃうけど」

 

「体重どんだけ減った?」

 

「体重??点滴はずしてからは3kgぐらい」

 

「優秀、優秀」

 

と小声で話していたら、私の順番が回ってきて、先生が私について何か言っていた。

 

そしたら「じゃあ、外来でまた先生に診てもらってね」と言って終わった。

 

寝とくも座っとくもなく終わっちゃった(笑)

 

 

 

後は、明日帰る用意をしておかなくちゃいけないので、ひたすら片付ける。

 

どんだけ荷物あるねんってくらいある、入院時より増えてるわ…。

 

えらいこっちゃ…。

 

 

 

 

3月2日(火曜日)、退院

 

 

 

今日で退院。

 

ほんとにいろんなことがあった。

 

入院前は、怖くていっぱい泣いた。

 

手術した後は、毎日毎日痛くて大変だった。

 

注射がイヤだと、ぎゃーぎゃー言ったこともあった。

 

食べられへんのに、どんぶり鉢にいーっぱいのおかゆとも、今日でおさらばよ(笑)

 

でも、いっぱい親切にしてもらったし、友達もできてほんとに楽しかった!!

 

 

 

荷物を片付けていたら、先生がやってきた。

 

「今日は栄養指導を受けてから帰ってください。そして、2週間後に僕の外来にきてください」と言って終わった。

 

えええ~!!それで終わり~???

もっと会話はないの~???

 

えええ~???

 

わがままで生意気ばっかり言ってたから、お礼ぐらい言わせてよ~(>_<)

 

中~途半端に終わってしまって、後味悪かった。

 

外来でも先生にお世話になるようやから、まいっか…。

 

 

 

このときのお礼は、ここまでとっておきました。

 

先生、どうもありがとうございました!!

 

そして、傷をキレイにしてくれてありがとう!!

 

退院してから院長に聞いたことなのですが、これだけ縫うのは何時間もかかるって聞きました。

 

もう、どうにもこうにも、100回くらいありがとう、という気持ちです。

 

注射もうまいです!!

 

いつもワーワー言ってるけど、ほんとは、いっぱいいーっぱい感謝してるんです(*^_^*)

 

ありがとう…・。

 

 

 

そして、栄養指導まで時間があるため、かよちゃんのところへ行っておしゃべりをした。

 

かよちゃんは、まだドレーンを抜いたばっかりなので、まだ退院の予定がわからない。

 

ヒマやから、お見舞いに来てあげるって~って言った。

 

 

 

私のベッドにさっそく新しい人が入るというので、ヘルパーさんがベッドを片付けにやってきた。

 

ここで私はお願いしてみた。

 

「ベッドに付いてるネームもらっていいですか??」

 

ヘルパーさんは「いいよ。捨てるだけやし。でもこんなん欲しいっていう子初めてやわ~。普通いらんって言うやん。」

 

「記念に欲しいんです!」

 

私は、入院中にもらったいろんな紙は、どんな紙でもすべて記念としてとってある。

 

それは、しんどかったことを忘れないようにと、何かに役に立たないかなと思って…。

 

でも役に立った!!

 

この奮闘記を書くときに、それが大いに役に立ってるの!!

 

これだけ思い出すのには、記憶をよみがえらさなくてはいけないので、残しておいて正解だった!!

 

 

 

そうしてるうちに、栄養指導に呼ばれたので行く。

 

栄養指導は、「食べ方」「食べて良い物」「気をつけること」などの指導だった。

 

とりあえず、最初は食べられない物が多い。

 

消化の悪いものは避けて、ちょっとずつ何回にもわけて食べる。

 

そして、よく噛んで、ゆっくり時間をかけて食べるように指導があった。

 

「好きなものは何ですか?」と聞かれ、

 

「ハンバーグとたこ焼きとお好み焼きです!」と答えると、

 

「ハンバーグはいいですけど、たこ焼きとお好み焼きはちょっとね…」と言われた。

 

たこ焼きはタコ抜きで、お好み焼きはソースをあんまり塗らないようにと言われた。

 

あら~、それじゃあ、たこ焼きじゃないやん(笑)

 

あと、ダンピングといって、急に食べると気持ち悪くなったり、冷や汗かいたりするので…と言われた。

 

気持ち悪くなってしんどいことはあったので、あれかな?と何となく思っていた。

 

食べてから時間がたって気持ち悪くなった場合は、血糖値が下がってることが多いので、

 

あめちゃんや、チョコレートなんかを食べたら治るからと言われた。

 

下痢になったら体力消耗するから、お水をたくさん飲んでくださいとも言われた。

 

そのときは「下痢?」と思ったけど、これが退院してからの苦痛になる(>_<)

 

 

 

お父さんが迎えに来るまで、かよちゃんとしゃべって待っていた。

 

すぐにお父さんは来たので、かよちゃんバイバイ、また遊びに来るよ~とさよならをした。

 

 

 

病院を一歩出て思った。

 

もちろん、開放感はあったし、退院だ~とも思った。

 

けど、これからはまた、普通の生活に戻っていかなくてはならない。

 

まだ第一段階の手術が終わっただけで、これからもツライしんどいことはそれなりにあるだろう。

 

体は治ったかもしれないけど、これからまた違うことと戦っていかなくてはいけないんだなと。

 

第二段階の「社会復帰」と戦っていくんだなぁと、

 

青い空を見ながら思った…。

 

 

 

 

11. 退院後の生活

 

 

 

退院してお家に帰ると、いろいろ困ることが多かった(>_<)

 

まず、傷が痛くて階段をのぼったり下りたり、柵のないベッドから起き上がるのが苦痛だった。

 

そして自分で運転しているのにもかかわらず、車に酔ったりもした。

 

まだそのときは、傷の周りもしびれていたので、ちょっとした振動で気持ち悪くなったりもした…。

 

 

 

そして、いまだに私を泣かせる「ダンピング」!!

 

お家に帰ってからひどくなった…というか、だんだん出てきたというのか…。

 

私の場合、ご飯をたべて1~2時間すると起こることが多く、

 

突然、体が熱いなぁと思い出したら、次にはものすごい吐き気で座ってもいられなくなってしまう。

 

横になっても吐き気は治らない。

 

呼吸も、はぁはぁと荒くなって「先生助けて~」という状態になる。

 

ものすごくしんどくなるので、泣きながらおさまるのを待つけど、1時間くらいはこれが続く。

 

何度か、倒れる寸前までしんどくなったこともあった!!

 

そして、やっとおさまった!!と思ったら、すぐ今度は下痢になってしまう(;_;)

 

しかも、さっき食べたものから全部出てきてしまうので、私は衰弱してしまう…。

 

退院時に、栄養士さんが「下痢したら水分を多くとるように」と言っていたけど、

 

とても無理~で、衰弱しているうえに気持ち悪いので、口の中にものをいれることができない。

 

「ダンピング」になると、半日以上は何も口にできなくなってしまう。

 

これが、だいたい週に1~2回はあって、ひどいときは、食べるたびに吐き気がして下痢をしている。

 

 

 

何がわるいのか??

 

食べるのも人一倍遅くて、よく噛むようにしているのに…。

 

とりあえず、何を食べたら吐き気がするか考えてみたら、

 

私の場合、お米・うどん、そばなどの麺類・パスタ・お肉・水分の一気飲み・と、たこ焼き…。

 

けっこう食べれないじゃないの!!って思うでしょ。

 

食べれないわけじゃなく、食べたら吐き気に襲われる確立が高いんです。

 

だから、食べるのは覚悟のうえ!!なんです。

 

そして、↑に関しては、詰まるかんじがものすごいするので、これもまたやっかい…。

 

水分の一気飲みは、「一気」というのはちょっと間違いで、

 

3口くらいゴクゴクと飲んだら、気持ち悪くなって、おえっとなるんです。

 

ちびちびと、1口飲んでは休んでを繰り返さないとダメなんですよ。

 

夏は喉が渇くので、氷をなめるように薬剤師さんから言われ実行していたら、マシでした!!

 

私はカレーがまた大好きなので、「どうしても食べた~い」一心で、

 

お米に関しては、私流の食べ方をあみ出した!!

 

私のためだけに、おかゆを炊いてもらうのは申し訳ないので、

 

普通のご飯にお湯をジャーっとかけて、電子レンジでチンして、やわらかくしてから食べるようにしています。

 

そうすれば、カレーでもわりと食べられるようになります!!

 

日本人はやっぱりお米なので、お米は食べたい…。

 

でも食べれな~い(>_<)

 

 

 

味覚って変わります??

 

以前は、何か食べに行こう!!ってなると、「焼肉~!!」っていうくらい、肉好きだったんです。

 

なのに、術後はまったくといっていいほど食べません、食べたいと思わないんですよ~!!

 

豚や鳥は何とか食べますけど、牛さんは NO THANK YOU です(;_;)

 

こんなことってあるの~??

 

きっと焼肉屋さんは、商売あがったりです。

 

あと、「ぽてち」(←ポテトチップス)、これはめっちゃ食べます。

 

たぶん私だけでしょうけど、前はあんまり食べなかったのに、今はおいしいのなんのって!!

 

とくに「コンソメWパンチ」最高!!

 

って宣伝してどうする…(^_^;)

 

でも、嫌いなものは、相変わらず嫌いですけどね…。

 

 

 

あと、外での食事はいつも泣いています(;_;)

 

手術前は、ケーキまで付いてる「ランチコース」みたいなのを、バンバン食べていましたが、

 

まったく、まったく食べれない…(T_T)

 

これほど苦痛なことはないっ!!

 

友達と食事に行っても、私は残さなくてはいけないし、ましてデザートなんて食べれたもんじゃない。

 

ドンリンクバーも、めっちゃ損ですもの!!

 

そして、外食は私たち胃のない人には危険がいっぱい!!

 

メニューって、おいしそうに写真写ってるでしょ、これがあかん!!

 

これに惑わされて、「今日は調子いいからいける!」と思って食べると、ダンピーング!!

 

百貨店のベンチや授乳室で、吐き気で泣いていることなんてしょっちゅうです。

 

 

 

食パンや、ケーキなどのフワフワしたものや、おやつは受け入れOKなので、

 

仕事のときとかは、絶対パンにしています。

 

それでも、調子が悪いときはダメなので、みんなに迷惑をかけますが…。

 

 

 

「そのうち食べれるようになるよ」って言われるけど、いまだに悩みはいっぱいです。

 

でも、最初にくらべるとだいぶ食べられるようになりましたが、

 

らくになった、というよりかは、吐き気がしてもがまんして耐えることを覚えたってかんじかな…(笑)

 

 

 

あとは、食べれないせいか体力がないのと、腹筋がなくなった。

 

遊んだり、仕事をしたりすると、夜になるとクタクタで、ちょっと横になるとグーと寝てしまう(笑)

 

テレビを見逃すことなんて、しょちゅうです!!!

 

職場で弱音を吐くのがきらいな私は、しんどくても家に帰るまでは元気にふるまってしまうので、

 

これがまたやっかいな人です…(^_^;)

 

正直言っちゃうと、かなりツライです!!はい!!

 

ほぼ9時~21時の仕事ですから…。

 

何でそこまでがんばってるんだろう…、私にもわかりません(笑)

 

 

 

 

 12. 職場復帰

 

 

ここからの内容は、ほんとうは書かないでおこうかと真剣に迷った。

 

でも私は確かにこういう経験をしたし、泣いたし、これをバネに今がんばっているところもある。

 

これを書くことによって、人間関係が悪くなるかもしれないけど、

 

包みかくさず伝えたいので、思い切って書くことにします…。

 

 

 

退院後すぐに、職場と下のクリニックの先生に挨拶に行った。

 

まずは、クリニックへ行った。

 

受付のかたや、看護師さんが「もう退院してきたの?」と迎えてくれた。

 

そして先生に挨拶に行くと、

 

「元気そうだね。どうだった?」

 

「元気は元気ですけど、ご飯はあんまり食べれないのと、痛いです」と答えた。

 

「傷も大きく残ったでしょう」と、言うので

 

「いいえ、真皮縫合してくださったので、たぶん思ったより小さいしキレイだと思います。」

 

「え?向こうの先生、わざわざそんなんしはったんだ」と先生は言った。

 

わざわざってどういう意味??

 

ここでふっと思ったのが、最初に先生に紹介された病院へ行っていたら、私もホッチキスだったんだわ!!と…。

 

でも、わざわざっていう言い方はないんじゃないの~!!

 

私にとっては、一大事やねん。

 

考えただけでも、気分が悪くなったので、それ以上なにも言わずに

 

「ありがとうございました」と言って、失礼した。

 

こんなこと言っていいのかわからないけど、病院選び、先生選びは重要なんだなと思った出来事だった。

 

 

 

そして、歯科へあいさつに行った。

 

入った瞬間、「あ、ここは変わってしまった」という印象だった。

 

たった3週間で雰囲気って変わるものなのだと、悲しく思った。

 

とりあえず、みんなと院長に挨拶した。

 

私がいない間に、何もかも変わってしまったように思えるので、私は小さくなってしまった。

 

復帰は、また院長と相談ということになって、その日は帰った。

 

 

 

数日後、院長からショックな電話があった。

 

内容は、今私が仕事に復帰をしてもスタッフの人数が多いので、自分で仕事を見つけてやらないと仕事がない。

 

休む前の私のポストは、今は他の人がやっているので、復帰したからといって私に戻すことはできない。

 

今までリーダーのような仕事をしてもらっていたが、

 

もし復帰するのであれば、一番下としてやってもらうしかない。

 

今はもう、新しい人たちで医院は回っているから、全面的に自分のキャラクターを出さないでほしい。

 

それができなければ、復帰しないほうが助かる。

 

と、いう内容で、よく考えて答えを出すように言われた。

 

 

 

どういうこと??

 

退院したら戻っておいでと言ってくれていたのに…。

 

院長も変わってしまった…。

 

私はただ仕事に復帰すると思っていたのに、こんなことまで言われるとは思ってなかった。

 

私がいない間に新しい雰囲気ができてしまって、私が入ることによってかき乱されると思ったんだろうな。

 

経営者っていうのは、残酷なことを言うんだなと思った。

 

私は、前のポストがなくなっていても、他の人がリーダーをやっていようが、そんなことは問題じゃなかった。

 

ただ、医院の雰囲気が変わってしまったこと…それが一番悲しかった…。

 

 

 

私は悩んだ。そして、いっぱい泣いた。

 

遠まわしではあるが、復帰する必要はないよと、言われたのと同じだった。

 

開院から2年半、私はずーっと医院が流行るようにと思ってがんばってきたつもりだった。

 

休みもせず、いい評判がつくようにと患者さん一人一人と仲良くしてきた。

 

一体、私の2年半は何だったんだろう…。

 

院長だって、医院をここまでするのに苦労したのは同じだと思っていた。

 

そう思うと、情けなくて悲しくて、ただただ泣くばっかりだった。

 

裏切られた…という思いばかりだった…。

 

 

 

友達や親に相談してみたら、みんな同じことを言った。

 

「そんな医院やめてしまえ。麻衣ちゃんなら、どこでも歓迎される!!」と。

 

みんなの意見は、ほんとにうれしかった。

 

正直、人情もへったくりもないやんか!!と自分でも思っていたし。

 

やめるなら今や、と思ったけど、迷った。

 

患者さんに会いたかった。

 

仲良くしているスタッフからメールで「何であのお姉ちゃんはいないの?って言われるよ」と聞いていた。

 

後から患者さんからきいた話では「お姉ちゃんがいない」とウワサをしてくださっていたという。

 

とりあえず、今やめるのはよそうと思った。

 

医院に歓迎されていなかろうが、仕事がなかろうがいいや。

 

私は自分のこの大変だった経験を生かして、患者さんに接すればいいじゃないか。

 

自分のファンの人たちを増やせばいいじゃないかと思った。

 

今いるスタッフの中で一番下になるのだって、考え方を変えればきっとできるはずだ。

 

そこまでしてだめだったら、その時に考えよう…。

 

みんなの反対を押し切って、私は職場復帰をしようと心に決めた。

 

 

 

こんな風に考えられるようになったのは、やっぱりガンと戦った経験のおかげだと思う。

 

今までの私なら、あほか~といって、ケンカしてやめていたはずだ。

 

何かが私の中で変わったんだなと、しみじみ思う。

 

「ガン」だと言われ、ショックを受けながらも、

 

空がキレイに見えた…、あのあたりから、私は変わったんだと思う。

 

 

 

一ヵ月後、私は仕事復帰をした。

 

今でも同じ職場で働いているということは、どういうことでしょうね…(笑)

 

自分の仕事もいただいているし、リーダーみたいなのもやらせてもらっている。

 

 

 

いつ何時、裏切られるかわからない…。

 

病気というものは、環境も変えてしまう。

 

経験した自分だからこそ、他の人には味わってほしくないし、味わわせたくないことだ。

 

今は無事に仕事をしているけれど、

 

いつまた、こんな同じようなことがあるかわからない。

 

でも、なぜなのだろう、一生懸命がんばる私がいる…。

 

 

 

私はこの先何があっても、このことは絶対忘れる日がくることはない。

 

 

 

 

13.今の私

 

 

 

退院しても、自分が「ガン」であることを、友達や周りの人に言うことができなかった。

 

かわいそうに思われるのが嫌だったし、偏見の目で見られることが怖かったので…。

 

 

 

退院後すぐに、なぁちゃんと遊ぶ機会があった。

 

高校からの親友のなぁちゃんに、いつまでも隠しておくのはいけない。

 

年始の胃カメラの検査から、退院までの話をした。

 

なぁちゃんは、「さすがにびっくりしたけど、話してくれてありがとう」と言ってくれた。

 

「がんって身近な病気なんやなぁ」と言っていた。

 

 

 

私もなんだか、つっかえていたものが取れた気がした。

 

それからは、食べ物が食べられないことや、いろんな相談をすることになる。

 

仕事でいやなことがあってメールをすると、なぁちゃんは、的確におもしろい答えが返ってくるので

 

それでいつも元気になってしまう。

 

 

 

このことからふっきれたのか、私にかかわるすべての友達に

 

自分の病気について話すことができるようになった。

 

友達に話すことによって、自分を理解してもらえて、助けてもらえることがわかった。

 

 

 

あるともだちに話したときには、

 

「あんたはいい子になった。変わった。」と言われた。

 

まきちゃんにも、よく言われることでもある。

 

 

 

何が変わったのか聞くと、出してる雰囲気が違うんだって。

 

前は何か疲れていて、クサクサしていたらしく、それはそれは、かわいそうだったと…。

 

でも、今はぜんぜん違うって言ってもらえるようになっている。

 

ほんとに、ほんとにうれしい(*^_^*)

 

ツライ思いをしたのは無駄ではなかった!!

 

前のページでも書いたけど、悟りを開いたんだよ、きっと。

 

 

 

自分をわかってもらえる友達は大事だと心から思った。

 

自分は「ガン」であると言えるようになってから、友達が増えた。

 

そして、いっぱい支えてもらっている。

 

もちろん心配もたくさんかけていて、申し訳ない気持ちもいっぱいなので、

 

何かきっと私にもできることはあるから、少しずつでもみんなに返していけたらなと思う。

 

 

 

ある人に「がんで手術したって、ハンディーキャップにならないの?」と、聞かれたことがある。

 

このハンディーキャップってのは、結婚とか恋愛のことだと思うけど、

 

正直、ハンディーだと思う…。

 

あまり考えないようにしているが、その人も正直に聞いてくれたので、そう答えた。

 

そのことを考えると涙が出るので、やめておこう…。

 

もう、あきらめたといったほうがいいかな、考えないようにしてるといったほうがいいかな、

 

こうなってしまったものは仕方がない、今できることをしなくては!!

 

というのが、今の私の気持ちかなと思う。

 

好きなことはどんどんやる。

 

いやなことは断る。

 

いつまた「死」を思うかわからない。

 

いいと思うこと、好きなことは、できるときにやっておこう。

 

 

 

私には、とっても心の支えにしている歌があって、

 

それは、Mr.Childrenの「PADDLE」という歌です。

 

しんどくなったり、どうしようもなくさみしくなったら聴くようにしている。

 

とくに2番の歌詞には、思い入れが強く、ちょっと紹介します。

 

 

 

 時々 誰かが僕の人生を操っているような気がする。

 

 誰に感謝していいのかは分からないけれど

 

 僕は今日も生きている まだ もう少し君を愛していれる

 

 良い事があってこその笑顔じゃなくて

 

 笑顔でいりゃ 良い事あると思えたら

 

 それが良い事の 序章です

 

 

 

「時々 誰かが 僕の人生を操っているような気がする」

 

これは、ほんとにそう思う。

 

この病気になる人は、「がんばり屋さんが多い」と聞いた。

 

この「誰か」は、その人が耐えられるだけの試練を、個人個人に与えるんだと思う。

 

そして、「この試練に耐えてみろ」と、私たちにツライ出来事を与える。

 

「ガン」は私にとって、その試練だと思う。

 

こんな試練はイヤだよ~と思ったけど、

 

「これに耐えれれば、きっとお前はいい子になる。そして、その経験を生かすんだ!」と、

 

言われたんだと、思うようにした。

 

この「誰か」に、私は「ガン」という試練に耐えられると判断された、選ばれた人なんだ、と思うようにした。

 

そうしたら、不思議と考え方が変わった。

 

そして、今の私がいる。

 

きっと、人生って「誰か」に操られているんですね…。

 

 

 

「誰に感謝していいのかは分からないけれど

 

 僕は今日も生きている まだ もう少し君を愛していれる」

 

ほんとに、誰に感謝していいか、私もわからない…。

 

担当してくださった先生、病棟の看護師さん、そして、多くの友達、家族、など、

 

名を上げればきりがない。

 

でも、すべての人たちに感謝している。

 

ほんとうに、ほんとうにありがとうございます!!

 

きっと恩返ししますから!!

 

 

 

「良い事があってこその笑顔じゃなくて

 

 笑顔でいりゃ 良い事あると思えたら

 

 それが良い事の 序章です」

 

この歌詞で、いつも私は元気をもらう。

 

笑顔でいることが一番なんだと!!

 

ツライことは、いっぱいいっぱいあるけれど、

 

笑顔でいれば、どんな些細ないいことだって見逃さずにいられるんじゃないかって。

 

幸せは自分から見つけるものかなぁと思う。

 

「いいことないかな、いいことないかな…。」ってよく言ってしまうけど、

 

笑顔でいたらきっと、プチ幸せってあるんじゃないか、

 

そして、そのプチ幸せがいっぱいあれば、毎日元気で生きていけるんじゃないかって思えるようになった。

 

 

 

Mr.Childrenの歌のなかの「HERO」という曲に、こんな歌詞がある。

 

 

 

 人生をフルコースで深く味わうための

 

 幾つものスパイスが誰にも用意されていて

 

 時には苦かったり

 

 渋く思うこともあるだろう

 

 そして最後のデザートを笑って食べる

 

 君の側に僕は居たい

 

 

 

私も、今はスパイスが苦いし、渋い…。

 

でも、最後に笑ってデザートを食べたい。

 

 

 

だから私はがんばる…。

 

どこかできっと「誰か」は見ている。

 

そして、私にご褒美をくれるはずだと!!

 

 

 

「ガン」になってよかった、とはいえないけど、自分を変えるきっかけになったと思う。

 

確実に私の中で、いい芽が出たような気がする。

 

まだまだこれから、泣くこともいっぱいあるだろうけど、

 

それでも笑顔でいたいと思う。

 

せっかく生き延びているんだから(笑)

 

できれば、みんなに元気をあげられるようになれれば最高かなぁ!!

 

 

 

私は強い人だと思われがちで、よく放っておかれることが多い…。

 

キャラクター的に、いつもギャーギャー言っているからだと思うけど、

 

ほんとは、ぜんぜん強い人ではない…。

 

ものすごい泣き虫で、いつもいつも泣いているし、落ち込んでへコむこともしょっちゅう…。

 

この闘病記を読んでくださった人には、わかってもらえたと思います。(そうよね?)

 

 

私はこういう人です。

 

私の力になってください!!

 

よろしくお願いします。

 

 

 

 

第二の人生、私は笑顔&スマイルで生きていきたいと思う…。

 

 

そして、キラキラ輝きたい…。